今日は僕にとって大きな大きな記念日だ。で、いったいこのタイトルはなんだ?
まず若さ。50歳を超えた今、その素晴らしさを噛み締めつつ少しでも老いに勝とうと切ない努力を積み重ねる。若さとはなにごとにおいても吸収する力があふれていて、無謀なダッシュをまったくいとわない。中2の頃にバンドを組み、中学卒業を記念してライブをやろうと提案した無謀極まりないバカ者が僕だった。バンドのまとめ役のベーシストは大反対した。そんなレベルでないと。対して僕の主張は、発表の場を決めて突き進めばレベルもへったくれもないだった。結局僕は主張を押し通し中学卒業記念ライブを敢行した。それが15歳の春、3月31日のことだった。
続いて約束。このライブの夜、興奮に包まれた6人のメンバーはプロになることを誓い合った。今考えると恥ずかしいくらいの団結を口にしながら、でもそこには全員の心があった。約束以上の気持ちがこもっていたが、月日というのは残酷なもので夢へと向かう気持ちをさまざまな葛藤で揺さぶる。1人、また1人と抜けてゆき6人のうち5人、つまり僕以外がバンドから離れていくのにそう年月はかからなかった。誰が悪いわけでもなく、情熱と挫折が青春時代には横たわっているのである。だが僕は巳年(同級生だからメンバーも一緒だが)でしつこい。去っていくメンバーに後釜を見つけてはバンドをつなぎ、中2で初めて組んだバンドはそのまま27歳になるまで夢を持ち続けたことになる。
その後釜たちも脱退を繰り返し、やっとのことで夢へとリーチしたときはギターとベースと僕の3人の正メンバーにギターとドラムはゲストという構成だった。ところが夢が目前となったプレッシャーからか、高2から一緒にやってきたギターが抜けてしまった。このときに、とうとう僕はバンドを諦めた。ヤツの後釜は考えられなかったからだ。こうしてピリオドを打った後は細々と弾き語りや客演で活動を続けてきた。
さてタイトルのラストとなる人生。思えば随分と長いこと音楽と付き合ってきて、じつにいろんなことを教わった。僕の仕事術のベースはまぎれもなく音楽である。その仕事のおかげでなんとかおまんまを食えているのだから、音楽さまさまだ。その人生へと舵を切らせた今日の記念日は毎年盛大に祝う。年度をやりきった喜びに包まれているタメ年諸氏とは異なる喜びを、僕は毎年嚙みしめるのだ。では、かんぱーい。