いよいよ、『昭和40年男』最新号 (vol.42) が今日から全国の書店・コンビニに並べられました。公式Twitterアカウントでもご紹介しましたけど、今のところはうれしい反応をたくさんいただいているようで、ホッとしています。特撮やアニメ成分の高い特集ではありますが、先日紹介した北の湖の他、田中角栄、立川談志、ダイナマイト・キッド、成田三樹夫などなど、実在の人物も多数取り上げているのが特徴です。実はこのごった煮感も本誌の持ち味と思っていて、これこそ、元祖ブラウン管の申し子こと昭和40年男らしさではないかと。「それを同列に語る!?」と思わせられるような意外性に満ちた挑戦…のつもりなのです。
さてさて、本日はそんなごった煮状態の最新号からこの記事を紹介!
昨日紹介した『夢、あふれていた俺たちの時代』から、『たそがれマイ・ラブ』の記事です。
「たそがれマイ・ラブ」、覚えていますか? しっとりした大人の恋を歌った名曲で、同じく昭和53年にリリースされて大ヒットしました。静かに始まり、サビに向けて徐々に盛り上がっていく曲調、それに寄り添う歌詞、日本人離れした声量豊かな歌唱が印象的な楽曲です。昭和40年男が13歳の時にヒットしたこの曲は、まさに背伸びしたい年頃に大人の世界を教えてくれるような、そんな存在でした。
このヒットについて、歌手の大橋純子さんがじっくりとお話を聞かせてくれました。それによると、彼女はこの曲を歌いたくなかったという衝撃の事実が…! なぜなのかはぜひ本誌をご覧いただきたいのですが、阿久 悠・筒美京平という超ヒットメーカーが組んだこの曲をなぜにして断ってしまったのか。そこには彼女のそれまでの歩みが深く関係していたのでした。
話は逸れますが、私はそれぞれの記事を作るときにその人の、その当時の楽曲を聴きながら作業することが多いです (もちろん今現在もこの曲を聴きながら、ブログを書いています) 。当時の雰囲気や空気感がぐっと引き寄せられるような気がするからですが、ぜひみなさんも大橋純子さんの歌声を聴きながら読むと、より感慨深いものがあると思うのでおすすめです。
ということで、大橋純子さんが断った理由について詳しい内容、そしてその後の顚末について知りたい方は、ぜひ今日から書店にならんだ『昭和40年男』最新号 (vol.42) を手にとってみてください!!