ミートソースを愛する昭和40年男。

僕はこのブログで麺類をネタにすることが多い。なかでもおっさんらしくそばネタが多く、ラーメンについては世間様の熱に比べると僕はかなり低いことが登場頻度でおわかりいただけるだろう。たまにラーメンネタを持ち出したとしても、それは昔ながらのすっきりあっさりの醤油ラーメンばかりである。舌の若々しいタメ年諸氏は最近のラーメントレンドについていけるようだが、僕はどうも興味がわかない。情けないほどにおっさんである。

IMG_4567そばほど登場しないが、おっさんのくせにスパゲッティネタは多い。カレー、ハンバーグと並んで子供の頃より変わらず愛している。大人になったらこのお子ちゃまトリオからは脱却するだろうと、子供心に思っていたのがとんでもない。当時より深く愛しているかもしれない。写真は大晦日から元旦にかけてじっくりと火を入れた僕自慢の一皿である。大量に作って冷凍してあるから春くらいまではいつでも絶品にありつけるのだ。

つい先日も「いただきま〜す」とそのうまさにこれから酔うという直前、通りかかった息子が「お正月のにおいがする」と言う。確かに。大晦日の昼過ぎに火を入れ始め、元旦の夕方までずっとすばらしい香りに包まれているのだからそりゃ頷ける。世間様に言ったら笑われてしまうことだが、我が家ではこの感覚はスタンダードである。

大好きなお正月の香りであるが、一方でお袋が煮てくれたガキの頃の想い出も強い。トマトのいい香りが家中に立ちこめて、夜が楽しみで勉強も手につかない(勉強? ウソつき)。後で振り返ると決して裕福な家ではなかったが、そんなことを微塵も感じなかったのはうまいものをしっかりと食わせてくれたからだ。工夫して作っていたのだろう(手抜きもあったが)。そんな感謝も相まってミートソースを頬張ると幸福感に包まれる。だからわざわざお正月に仕込む習慣になったのかもしれない。そうそう、ミートソースはパスタって呼びたくないですよね。絶対にスパゲッティ!!

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2件のコメント

  1. うちのミートソーススパゲティの起源がわからない。
    生まれ育ったのは北海道釧路市。昭和40年代は国内水揚げ高日本一を誇った水産都市でした。
    北洋で長く漁をして帰って来た「やんしゅう」(上品な言葉ではありません)が、腹巻にお札を入れて夜の街を飲み歩く。
    当時はそりゃ、活気があったらしい。母は夜のお店を経営しておりました。父は不動産業で列島改造により儲けてました。
    以上、物語の背景と身の上話終了。

    その母が作るミートソースは当時の釧路の洋食を牽引していた「泉屋」のレシピを参考にした、との話。
    なんでもお店の常連さんに泉屋の社長? 専務? 跡取り?なんかそういう人がいて教わった。本当かはわからない。

    では簡単にレシピなど
    ① 基本は「マコーミック ミートソース」(顆粒)を使用。
    ② ひき肉と玉ねぎのみじん切りを炒めてソースの元を入れる。
    ③ それにケチャップ、ソース、塩コショウなどで味を調える。
    ④ これが「泉屋直伝」隠し味に味噌を入れる。
    これでソース完成。

    ここからがどこに起源があるのかわからないハウスレシピ。
    ① 「ママ―スパゲティ」を茹でる。必ずママーでなくてはならない。
    ② なにしろ泉屋の看板に「ママースパゲティ」と書かれていたのだ。
    ③ 家族分、あらかじめ茹で置きしておく。アルデンテなんて言葉は当時の釧路にはない。
    ④ 多めのサラダ油で茹でたスパゲティを炒めてアツアツにする。
    ⑤ 味噌入りミートソースをかけていただく。

    母がいくら多めにママースパゲティを茹でておいても、私がすごく食べるので、いつも途中で追加茹で。
    ああ、懐かしい母の味。何度か顆粒の元で真似して作ってみましたが、あの味は再現できませんでした。
    教わろうにも母は夜の勤めで無理をしたのが祟ったのか、若くして亡くなりレシピを確かめる術もありません。美人薄命ってことにしています。
    いえ、そんなことはありません。ただの太く短く生きるタイプの女だったのです。

    疑問やら突っ込みやら挙げればきりがありませんが、大きな点は二つ。
    ・本当に泉屋ミートソースの隠し味は味噌なのか
    ・何故にスパゲティを茹で置きし、さらに油で炒めたのか

    当時、市内に泉屋は本店、支店とで4店舗ほどあり隆盛を誇っていました。
    もちろん、年に何度かは両親と食事に行き、飽きもせずミートソースを食べたものです。
    それは家の味に似ているような、似て非なるものであるような…。
    でも、少なくとも泉屋のスパゲティはアツアツの鉄板に乗っており、油で炒めたりはしていない。

    多分、思うにスパゲティを炒めたのは、その度に茹でるのが面倒だったからだね、ママ!
    で、電子レンジで温めるより、油でジャーッと炒めた方が鉄板の上のアツアツ感を再現できたから?

    しかし最後の決め手の隠し味、味噌の謎は、いまだ解き明かすことは出来ません。
    すでに両親も亡く、数年に一度程度しか釧路に行くこともありません。
    親もいない生まれ育った土地を訪れるのは、それでも帰省と呼ぶのかどうか私にはわからない。
    200海里以降、街の産業は冷え、人口も減りかっての繁華街はゴーストタウンのようになっています。

    それでも私は釧路では、必ず泉屋を訪れます。
    本店は昔と変わらない場所にいまもあります。
    そして看板には数十年前と同じ「ママースパゲティ」の文字が踊っているのです。

    ※マコーミックは味の素に吸収されたらしく現在は「ルーミック ミートソース」と商品名を変えていました。
    ※泉屋は現在、市内に本店の他に2店舗。やはりママースパゲティを使用しているようです。

    • 貴重なコメントありがとうございます。
      釧路には行ったことがないですけど、行きたくなりました。人生の目標がまたひとつできて感謝です。
      ウチのお袋流は夕食は茹でたてでいただき、多めに茹でたママーは翌朝に油まみれで出てきました。これもミートソースの大きな楽しみでしたよ。

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