有楽町と東京駅の真ん中くらい、ガード下にこの昭和テイストな店がある。うまいサンドウィッチを出す店で、テイクアウトとイートインでいつもワサワサしている。いかにも昭和な店を切り盛りするのはタメ年男で、僕の高校時代のダチ公だ。おっ、書きつつ思った。ダチ公って死語だな。高校時代のことだからふとこの言葉が出たが、僕自身もう何年も使っておらず思わず笑ってしまった。
さて、昭和の不親切グルメガイドとしては、冒頭の解説をたよりに出かけてみていただきたい。すっきりと素朴なサンドウィッチは、彼が始発で出勤して作ったものばかり。どこかのセンターから運ばれてきて並べるのとはまったく異なる。が、値段はそんなデリバリーものとほとんど変わらないのだから、その苦労は想像にたやすい。加えて完全なるワンオペで、もうおそらく20年以上続けている。いつ行ってもキビキビと動いてて頭が下がる。
この近くに取引先が入っているビルがあり、そこの帰りには寄ることにしている。外からのぞき忙しそうなときはそのまま帰る。先日寄ったときは珍しく店内に客がおらず、久しぶりに束の間の同窓会だ。たわいのない話ながら、互いの日々の苦労がにじみ出てしまうのはおっさんゆえか。10代だった俺たちは、やはり歳をとったようだ。歳相応の見た目になったことを口には出さない2人の間で、時間はドンドン昭和へと戻っていく。15歳当時のバカな会話をしばし楽しんでいると、カップルが入って来て僕は店を出た。滞在時間は5分少々だと思うが、巡った時間は30年以上だ。
10代の頃にはその時代にしかないつらさや苦しさがあった。それ分かち合った俺たちだから、わずか5分の中にさまざまなシンパシーがあり思いがけず楽しい時間になった。「近いうち呑もう」と言葉にしかけたが、おそらく無理だろうと引っ込めたのは50歳を過ぎた男から感じた疲れからだろうか。ダチ公の前では僕もすっかり自然体で、同じように疲れを見せていたのかもしれない。彼からも呑むという言葉は出なかったのは少々寂しいものだ。じゃまたな、ダチ公。