今日は親父の誕生日。

この頃の僕は加齢などを考えたことはなかっただろう。そしてお袋も僕の髪を心配するとは…
便利な写真でついつい使ってしまうカワイイ僕の写真。このカットの撮影者こそ若き日の親父だ

今日は親父の85歳の誕生日だ。「父さんの誕生日は紀元節なんだぞ」とよく自慢げに言っていた。神武天皇が即位された日とされ、戦後GHQによって廃止された祝日だったが、昭和41年より建国記念日として復活した。日本好きの親父が胸を張る今日は、数ある祝日のなかでも大きな意味を持つ。

さて冒頭は、もしも生きていたらという話で平成7年の3月30日に亡くなった。静脈破裂で救急車に乗ったときは心肺停止状態。救急隊員によってなんとか脈を打つ状態にしてもらい、搬送された日医大付属病院の救急救命センターで手術を受けたものの未明に脈は止まったのだった。携帯電話なんか持っておらず、僕も弟もなかなか連絡が取れなくて、僕が駆けつけたのは運ばれてからずいぶんの時間が経過していた。やっと面会できると、親父にはたくさんの管が繋がっていて、正直な気持ちとして命はもう終っていた。

突然の別れとなり、しばし会社に出られなくなるからと霊安室に親父を置いて会社へと戻った。やるせない気持ちで諸々の作業を進めて病院に戻ると、日医大は大変なことになっていた。国松警視庁長官が狙撃され搬送された直後だったのだ。なんとも異様な光景だったがこっちは失意のどん底で、記者たちをかき分けて病院に入っていこうとする僕に、なにを勘違いしたか質問する記者がいてずいぶん腹を立てたのを覚えている。

親不孝な息子だった。今も心配ばかりかけているから、雲の上でさぞ怒っていることだろう。そう、親不孝な息子“だった”でなく現在進行形である。せめて親父の分をお袋に注がねばならないのに、51歳にもなってなんの孝行もしていないバカモノだ。すまぬ。

現在では85歳は生きていてまったく不思議じゃない歳だ。きっとタメ年諸氏のご両親にも昭和7年生まれの方はいるだろう。僕の分まで親孝行してくれ。それにしても、こんなに親不孝者なのに息子には親孝行をせがむのだから始末悪い。そしてその息子の存在こそが、生きている親父にしてやれた唯一の親孝行だったのである。

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