ある日の我が家の食卓だ。結果的にダジャレになったメニュー構成に思わず吹き出した。言うまでもないかもしれんが解説しよう。左の魚の煮付けはカレイで手前はカレイの煮こごり。そして右はカレーだ、プップップ。カレイの煮付けなんてガキの頃は苦痛極まりないおかずだったが、おっさんとなった今ではごちそうである。対してカレーはずっと変わらずの大好物で、その華麗なる競演だ、プップップ。
ガキの頃を思い出した。当時の商店には勝手口を使ってさまざまな営業が来た。行商のおばちゃん、酒屋の兄ちゃん、そして魚屋のおばちゃんである。魚屋は旦那が店舗営業の準備をしている間に、おばちゃんが大活躍するのである。このおばちゃんになんの罪もないが、僕は嫌いだった。いやいや、正確にはおばちゃんが嫌いなわけでないが、魚なんて食いたくないという感情が間接的におばちゃんへと向かうのだ。ガキにとってはなんといっても肉である。焼き肉を最高峰にして、最下点の肉がほとんど見えない野菜炒めでも魚よリはましだ。ぶりのような脂たっぷりならまだましだが、ヒラメとカレイは魚の中にあって最下点だ。コイツが食卓に並んだときは弟とひどく落胆したものだ。
その落胆へ誘う勝手口のおばちゃんである。「奥さん、今日はカレイがいいわよ。あとイワシね」「そう、じゃあカレイをもらおうかしら」となった瞬間、その夜の食卓で親父は喜び、子供の落ち込みが決定するのだ。ペロペロと指をなめながらお袋のオーダーをメモにかき込み「毎度っ」と勝手口から去る姿を見ながら僕はおばちゃんを憎む。それは山より高く海よりも深かった。
どのくらいのエリアに営業をかけていたのかは今となっては知る術はないが、午前中に取ったオーダーは午後に届けられる。さらに夕方はごった返す買い物客を店舗でさばくおばちゃんの姿を見かける。働き者なのは認めるが、それによって僕は魚を食わされることになるのだった。ご用聞きがなければ我が家の食卓から魚は減ったはずだ。いやもしも肉屋がご用聞きに来てくれれば、こんな目に遭うことがグーンと減るはずだといつも考えていたガキだ。と、そんなことを思い出しながらプップップと完食した華麗なる競演だったとさ。
少し驚きました。カレイは子供が好きな魚だと思ってたから。だって柔らかいし、甘く煮付けるでしょう?
肉は豚肉の安いのばっかりだったせいか、どちらかと言うと嫌いでした。かみ切れない様な脂が混じってて、飲み込むのも気持ち悪いからガムみたいにずっと噛んでたら、「食べ終わるまで入れない」と夜の縁側に出されました。まだ暗闇が怖い歳でしたが、少し経つと案外落ち着いたのを覚えています。
投稿は初めてですが、「昭和40年男」はバックナンバーをあと一冊手に入れればここまでコンプリートですよ。
昭和39年男さん、初投稿ありがとうございます。僕と真逆なんですね。
バックナンバーを揃えていただき恐縮です。
うちは海が近かったので、
漁船が市場に出さないような雑魚をおばあちゃんが買い取って、
乳母車兼キャリアーで売りに来てましたね。
一度でも買うと、遠くの方から大声だして、奥さん、今日はどう?
ってくると、ご近所への恥ずかしさも手伝って、断り切れないんすよね~
小西さん、ありがとうございます。
そのおばあちゃん強いですね。なんだか目に浮かぶようです。
うちの田舎では、自転車にサイドカー的なリヤカーみたいなのを付けたスタイルで鮮魚を売り歩くおばちゃんのことを、「いただきさん」と呼んでいた。
わたしも刺身は好きだったが、カレイの煮付けにはご同輩と同じく困っていた子供時代でした。
それから数十年。
以外にも我が家の愚息は2人とも、魚は刺身から煮付けや焼きでも大好きで重宝しています。
とはいえ、昔と違って今は魚って高くなったと思う。
下手したら牛肉より、よっぽどコスパ悪いのよ。
そんな時代です。
平成乃昭和さん、ありがとうございます。
たしかに最近は魚が高いですよね。せっかく好物になったのになんてこったい。