我が家はもう鍋の季節が到来だ。当初ささやかれていた、今年の残暑はえらい厳しいなんて話が東京ではまったく当てはまらなかった。だからってコイツが早くも登場した訳じゃない。僕は湯豆腐中毒患者で夏真っ盛りでも禁断症状が出てねだる。やっと先日折れてくれ、シーズンインとなったのである。
たっぷりの昆布が鍋でユラユラしている。真ん中の湯のみの中にはたっぷりの鰹節と醤油、そして小口切りにしてほぐしたネギだ。シンプルである。このシンプルさゆえ最高のうまさがくっきりと際立つのだ。昆布だしをまとってプルプルになった木綿豆腐をすくい、鰹節のうま味を吸ったネギとそれらのうま味が染み出た醤油をかければ、日本が誇るうま味のハーモニーとなる。料理は足し算がいくらでもできるが、このシンプルな鍋に足し算はいらない。ただし、引き算は一切不可能な最低限ながら最高のうまさだ。シンプルイズベストである。
足し算が悪い訳じゃない。創意工夫にあふれ、計算されつくしたうま味の足し算は心地よい。このスープは豚骨と鳥ガラを合わせて、さらに魚介のだしを加えましたなんて巷でよく聞くセリフで、フムフム贅沢で結構である。でもその逆で、素材の持ち味をキチンと愛するのは日本人のいい習慣だから忘れちゃならない。素材のよさを損なわない足し算で、僕がもっとも好んでいるのがこの湯豆腐の組み合わせなのだ。食うたびに「日本人でよかった~」と唸り、食べ進めていくうちにもう1つの究極でひと塩のタラも同じようにいただく。豆腐とはまったく異なりながらも、シンプルな足し算に身悶える変態だ。夏はねだるものの湯豆腐を我慢できるのはタラが手に入らないからというのが大きい。さすが魚へんに雪(鱈)である。
つい先日食べたばかりなのに、こうして書きながらまたいただきたくなっている。舌が年々おっさん化しているのも手伝って、そのいとおしさが深まっているのだ、ヤレヤレ。それにしても2日続けて食い物ネタというのは、いよいよ食欲の秋なんですな。