ずいぶんと久しぶりに息子と一杯呑った。もうすぐ30歳になるのだからうるさいことは言うまいとやせ我慢しながら杯を重ねた。日本酒をチビチビといっぱしの酒呑みになっていながらも、息子ってのはいつまで経っても心配でならぬ。だからこそ、やせ我慢をするのが父親の成長なのだろう。母親ってのはいつまで経っても口うるさくてよいが、親父ってのはドーンとしていなければならぬと自分の親父がそれこそ無言のまま教えてくれた。習って演じていたが、酔いが回るとどうしても本音が出てしまいそうで「音楽でも聴くか?」とデレク&ザ・ドミノスの『レイラ』を引っ張り出した。息子にギターの教材として聴かせレッスンしてやったアルバムの1枚だ。名曲『レイラ』や『ベル・ボトム・ブルース』はなかなかいいセンで弾く。
聴き進めていきながらふと「このアルバムアナログ盤で聴いたことあるか?」と尋ねた。「うん、ないよ」「そうか」と、先日アルファベット順に整理したばかりのラックから引っ張り出し、D面をセットしてそのときを待った。今じゃ1回もひっくり返さず最後まで聴けるこのアルバムを、かつてはAからD面まで使っていたのだな。名曲『リトル・ウィング』へと導く『ハブ・ユー・エバー・ラブド・ウーマン』でCDオフとレコードプレイヤーオンで絶妙につないだ。僕自身もこんな聴き方は初めてだった。
やはりいい。とくに僕のCDは初期のものだからその差はよけいに大きいのだろう。「音が広がった」と思わず口から出たリスナーさんと一緒に、その音圧に感激しながら『庭の木』まで続く最強の面に聴き入ったのだった。そう、CD時代となって面で考えることがめっきり減った。かつてはこのD面はもろちん、スプリングスティーンの『ボーン・トゥ・ラン』のB面、オーティスの『イン・ヨーロッパ』のB面、クイーンセカンドのB面などなど、当時身構えながらひっくり返したのを思い出したのだった。
息子もこの音は気に入ったようで話が弾み、うるさいことを言わないかっちょいい親父のままでこの日の酒宴を終えることができた。30年以上前、つまり息子が生まれる前に聴いた音が今に至って親子を震えさせた。また近いうちに、アナログ盤をつまみに息子と呑みたいものだ。