8月15日の行動。

靖国もう何年になるだろうか、終戦の日は靖国神社に出かけるようにしている。この行動をかつて「北村さんてそういう人なんだ」と言われたことがあるが、“そういう”特別な行動だと僕はまったく思っていない。北村家に生まれた自分が、ご先祖さまのお墓に行くように、この日に靖国に行くことは自然な気持ちからの行動だ。

不謹慎かもしれないが、世の中が先の戦争をどのように考えているかの定点観測もしている。参拝に来る方々やその喧噪から、時代や人の心の流れが感じ取れるのだ。今年は若干ながら参拝者が少なかったように思う。それと例年に比べると喧噪が控え目で、いつもは思想の渦がもっと大きいように感じられる。

毎年のことながら、長い行列で待っている間にまるで思考の旅に出るがごとくさまざまなことを考え、その末に心静かに手を合わせる。昭和20年の今日のことについてもっともっと知識を深めたいのだが、満足のいく成果がないままに毎年この日を迎えてしまうのは情けないばかりだ。ただ、年ごとに心の静かさが深まっているのを感じている。平和への感謝と願いも深まるばかりだ。僕の気持ちも常に流れの中にありながら、今年の参拝も無事終えることができた。

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1件のコメント

  1. 参拝は特別なことではなく至極自然なことだと思います。
    特別扱いする方が何かおかしくなっていると私は思います。

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