あまり重くならないように、ピアノの名曲のパロディタイトルにしてみた。少し以前になる。15年9ヵ月生き抜いた我が家の猫が逝ってしまった。僕は不在だったが家人が看取ってやれたのはよかった。名前はパンで、犬のジャムとでジャムパンと名乗ったコンビだ。
目が見えず、耳が聞こえない猫だった。当時住んでいた蒲田の借家の脇でひたすら泣いていたのを女房が手を差し伸べた。その直後に1度、明らかに母親と兄弟と思われる3匹を見つけてその輪に入れようとしたが、冷たく去っていったそのシーンは忘れられない。この時点では目は見えていて、音もおそらく感じていたように思うが、後にダメになることを母猫は知っていたのだろう。捨て去ったということだ。
それから1ヵ月もしないうちに異常がわかり獣医にかかったがダメだった。そのまま光と音のないパンの生活が続いた。猫の気持ちなんかわかるはずもないが、おそらく障害のせいだと思われる荒れた猫だった。かわいがっていた女房や息子でさえ噛み付いたり引っ掻いたりした。ましてや家の滞在時間が極端に短い僕はしょっちゅう襲われ、お客さんも数名が被害を受けている。創刊号の取材で我が家のキッチンを使うことになり、当時副編だった小笠原がパンの怖さについてこのブログに綴ったほどだ。
見えないけれど壁などにぶつかることはない。引越のたびに数日は様々な場所にぶつかるのだが、ホンの数日で家のレイアウトが完全に頭に入るようで、見えているがごとく練り歩く。見えない分だけ発達した能力だろうか、ともかく見事だった。
最後の2週間くらいは食欲が極端に落ちてしまい、見る見るうちにやせ細っていった。いろんな餌を試しては食った食わないに一喜一憂する日々だった。悲しそうな鳴き声も衰えを感じさせ、別れの近いことはなんとなく感じていた僕だ。女房より連絡が入ったのはお客さんと一杯呑っている時だった。家に帰るとタオルにくるまれて固くなっていた。やせ細ったとはいえやはり命があるとないとではまったく異なり、その朝まであった魂の存在をリアルに感じた。「よく頑張ったな」と、僕は抜け殻になったパンを何度も何度も撫でてやった。
少々値は張ったが、業者に頼んで火葬してもらった。そこは骨をパウダー状にしてもらえる。外の世界をほとんど知らないパンに、せめて感じさせてやろうと散骨することにしたのだ。蒲田の家は今は空き地になっているから、生まれ故郷のそこに1/3を、決して仲がいいわけでなかったがコンビのジャムの散歩コースに1/3、そして親父の墓に1/3をまいてやることにした。蒲田には先日散骨してきた。野良猫生活の兄弟たちよりきっと長生きしただろう。よく頑張ったな、パン。
パンが幸せだったし、プロデューサーさんや、ご家族をきっと感謝しています。自分も猫飼った事あるので、これ見て、泣けてきました。
ご冥福をお祈りします。
我が家にも殺処分から逃れた奴(猫)が一匹居ります。
パンのように最期まで添い遂げたいと思います。
ありがとう、パン!
平成乃昭和さん、ありがとうございます。
1日でも長く一緒にいられるように祈ってます。
幸せだったねパン。
幸せだったねP。
浅野さん、ありがとうございます。
パンが幸せだったのかはわかりませんが頑張ったよ。