おっさんになるほどありがたい食い物。

素麺肉より魚、ラーメンよりそば、サラダよりぬか漬けなどなど、幼少の頃に親父の好きなメニューを見ながら、自分は絶対にそんな嗜好にはならないと思っていた。戦中に育った親父だからそうなったのだ。ナウでヤングな昭和の生き方とは決定的に違うのだと信じていた。が、残念ながら完全なおっさん嗜好になってしまった。

幼少の我が家ではハンバーグを作ってくれた日はナイフとフォークがセットされ、ご飯が皿に盛られた。フォークの背中にご飯、いやライスを乗っけていただくことを親父から教わった。いつか来るレストランデビューのために、また洋食文化の開花についていくようにとの親心だっただろうが、現代社会でフォークの背中にご飯を乗せるヤツはあまり見ない。とはいえ、そんな雰囲気を味わうのは子供心にウキウキして、ハンバーグはビッグイベントだった。親父もお袋も幼少時にそんな経験をしていないのだから、僕らの将来はまったく異なることになると思うのは自然なことだった。

ハンバーグのような子供たちに合わせてくれるメニューがあれば、当然ながらその逆もある。カレイの煮付けや湯豆腐なんかがその代表で、親父喜び子供沈黙というメニューだった。5月頃から9月頃までの半ドン日の昼食が、そうめんになる日がしばしばあった。本来であればカレーや近所の肉屋のメンチとコロッケ、商売をしていたから近所の出前などが、それでなくともうれしい半ドンを鮮やかに彩ってくれたものだ。が、暑い季節になるとこの質素なメニューが登場してしまう。食い物の恨みは恐ろしいが、怖い両親にそんなことを抗議できるはずなく、ただ黙ってすするいじらしい兄弟だった。

ガキがみょうがなんて食い物を好むわけがない。大葉だって青臭いだけだ。キングオブお子ちゃまな僕の舌は、そうめんの薬味をめいっぱい拒否していた。するってえと、小麦のみの食事が夏の暑い日に展開されたことになる。どうなっているんだい、お袋。今のような国民総栄養オタクみたいでなかったから、こんな食事もあったってことだな。

さて、時が流れて50歳を過ぎたおっさんに、今年もそうめんがシーズンインとなった。みょうがも大葉もたっぷり刻み、ネギは白と青を2種類。わさびとショウガを効かせていただけば、幼少の自分をバカにするほどのうまさにとろける。さあ今年も、老夫婦の食卓でめいっぱい活躍してもらおう(笑)。

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