高校生のビールの味。

今日もまだ作業は続いているが、朝6時に究極の助っ人が帰り、昼過ぎに小笠原も愛する乳房…、じゃなかった女房の元へと走り去った。ふーっ、今回ももうホンのあとわずかの作業だ。現在これを書いているのが14時25分で、細かな作業が残っているだけだ。今日はこのままで行けば久しぶりに布団で寝られそうだ。

変な話だが、コレが編集後記のような気分である。本誌の編集後記は確かに大まかなケリはついているものの、まだ気分的にはここまでクールダウンして書いているわけじゃない。まだまだ約1日分以上の作業を残して書いたのである。今は、編集部で残っているのは僕1人で、まさに編集が終わろうとしているからね。

今、すでにたくさんの反省事項が頭にあり、メモに書き込んでいる。これを次にどう活かせるかが大切である。進行や骨格づくり、スタッフ全般とのやりとりなど、ハードの部分に関しては、今迎えているこの時間が最も強く反省する。本が刷り上がってページをめくり始めたときは、文章や写真、タイトルにデザイン、クリエイティブ全般へのソフトの部分で強い反省が生まれる。1冊つくると必ず訪れるこの2回の反省を、キチンと活かせる自分になることが重要なのだ。そしてその思いが、最近1冊つくるごとに強くなっている。というのも、エネルギーとは年齢や経験によって放出の仕方が異なり、最も適した方法で出し切ることが、結局仕事ができる人間だということに今さらながら(遅っ)身にしみて気が付いたからだ。

仕事でたとえるとつまんないから、ほぼ毎年1回走っているフルマラソンでたとえてみる。今年1月のことだ。出走前には5時間はまず切れないだろうと本気で思っていた。去年からケガ続き(酔っぱらって椅子から落ちたり、こけたり)でまるで準備ができていない。こう書くと、さも普段はたくさんの練習を積んでいるように思われるが、大したことはない。だが大したことがないなりに努力をして毎年臨んでいる。今回『昭和40年男』の誌面に出ますと書いていなかったら、絶対に、120%キャンセルしていた。が、結果的にはベストと25分しか変わらないタイムで完走できたのだ。初めて走った20代の時よりも15分も早い。では、初めての時と今回とでどっちが練習したかというと、たぶん今回の方が少ない。この結果は僕にとってチョットした革命的な出来事だった。

20年近く前の初トライは、もう肌もピチピチで髪もふさふさの若さあふれる僕だ。もしも今の僕がコイツに勝つとしたら、練習とか長い期間をかけての体力のベースアップしかない。練習というとなかなか難しいから、歩くことや階段を駆け上がることを習慣にすることを努力としている。だが今回はそれさえままならなかったから、前述の5時間という予想になったわけで、その根拠はピチピチの若い初エントリーの僕との対比で割り出したものだ。ところが僕はその若い僕に、何一つ勝てる要素などないはずなのに勝った。走り終わってわかったのは、若いころより少なくなったエネルギーと筋力を、あの長い距離の中にうまく割り込んでいくだけの経験と、十数回走ってきたことで知っている苦しさへの慣れが勝因だ。あの日の僕はつらくて歩いた。ところが歩いてもなにもラクになることはなく、むしろきつくなることを数回の経験で知った。どんなにきつくても走り続けた方が、不思議なことに結果はとしてはいいものになるのだ。だから今回、キツイけど歩かないで進んだ。仕事も一緒で、経験で知ったことをキチンと胸に刻んでいけばいいということに、相通じたのであった。

そして幸いなことが、仕事はまだまだコレからの年齢だということだ。僕の仕事においての心技体が最もいいカタチで充実するのは、たぶん50歳前後だと思う。うっ、もう近いな。だから今日は強く反省するのじゃ。ひとしきり反省したらグビッである。実はどんなに遅くとも昨夜には呑めるはずだと、参加表明していた会があった。楽しみにしていた会をキャンセルにしてしまったのが残念だが、その分まで今夜のグビッはうまいはずだ。何日ぶりになるかビールの味は、毎度高校生の時の感動を連れてきてくれるのさ。さあ、もう一踏ん張りだ。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で