スーちゃんの葬儀と未来都市?

〆切間際の、というか先日も書いた通り、もう瀕死の状態で迎える浅草秘密基地であるが、夕べも元気に開催した。当然ながら、編集部の都合なんちゃらはない。公共機関が動かない危機だったり、また、僕のお腹が痛くなったら仕方ないけどね。先週の盛り上がりの後であるから、期待があった。迎え撃つ『昭和40年男』サイドはさすがに僕ひとりだけである。いつも取材と撮影、調査に徹する副編小笠原もさすがにパスで、ある意味において基地の主役である編集金子も、さすがにここにいたらマズイほどの原稿をかかえているのだ。ということで1人でみなさんの来るのを待った。1人、また1人と結局は円卓に4人が座り、少ないながらそれはそれで楽しい夜になった。「なんか今日は、まったりしてるよね」とのんびり空気が流れていた。

遅くなってから、比較的進行のよい編集足立が「一杯だけ」と登場した。今懸命になって取りんでいる5月11日発売号での連載企画“夢、あふれていた俺たちの時代”は昭和52年にスポットを当て、俺たちにとってこの年の主役はキャンディーズであると4ページを割いている。ここを担当する足立は急遽昨日の告別式に参列。葬儀のレポートに切り替えるわけではない。4ページの中の一部分であるのだが、このタイミングでキャンディーズのページを作っているという人間がこの場にいくということが僕たちの本づくりであるのだ。

ちょいと話はそれるが、先日たったの2日間であるものの被災地に入ったのは、昨日の足立の行動とまったく同様である。現地に入ったタメ年の医療従事者がいてインタビューをすることになり、それを担当するのであれば被災地を知るのと知らないとで雲泥の差が出るはずだ。いや、もしかしたら何ら変わらないで作れるのがプロフェッショナルなのかも知れないが、僕たちの価値観はこういうことなのだ。しばしスーちゃんが話題の中心となり、青山斎場の報告と病床から発したメッセージに話題がいったのだった。「今さらながら、立派な方だったんだなあ」と、深く頷いた面々である。

やがて議論は原発問題へといき、そこからそもそも俺たちが夢描いていた21世紀とはなんだったのから話は流れていった。なぜ? 原発話から端を発し、エネルギー効率へといったのである。そして至ったのが、幼い頃思い描いた透明のパイプが都市に張り巡らされ、そこを人やものがビュンビュン移動するというヤツにいったのだ。どうやら昭和40年男にとってあの光景は相当の影響を受けているのである。そしてなぜエネルギー問題かというと、あの中は真空で物流に対するエネルギーが極めて小さいということになった。そこでだ、あのインフラを整備していずれは世界へと輸出していく先端技術とするには東京から始めるべきだとなり、都知事はドクター中松しかいないということになったのだ、パチパチ。おーっ、なんとバカげた夜だろう。このろくでなしたちに乾杯!!と、夜を締めくくったのである。

追伸。来週の『浅草秘密基地』は無事〆切を通過して印刷機が回っているという、ある意味編集者にとって最も幸せな時期である。解放された喜びと、まだ本が完成していないから反省や後悔が薄いタイミングなのだ。また参加なさる方にとっても休日前であり、なんと今年の暦で月曜日の翌日が赤い日は来週のみである。浅草フィガロを埋め尽くしましょうということで、僕も7時に入店してみなさんを待っています。奮ってご参加ください。あのね、別に昭和40年生まれでなくてもいいし、女性も参加できるからね〜。

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