つい先日、通勤時のことだ。いつものようにギュウギュウの京浜東北線に
乗り込むと、お歳を召した男性が2人、僕の横にいた。杖をついている方が
「これから病院なんですよ。順天堂大学まで、月に一回通っているんです」
と、もう1人に話しかけた。お年寄り同士の連帯感のようなものなのか、そ
れとも震災で傷ついた心の連鎖なのか、下品ではあるがついつい聞き耳
を立ててしまった。「大変ですねぇ。私もボロボロですよ」と受けた男性はハ
ンチング帽をかぶったなんともカッチョいい紳士だ。「75歳なんですよ、終戦
は9歳で疎開先でした」。「私は80ですよ。それにしても生きているうちにこ
んなことになるなんて」と、やはり震災に話が及んだ。会話は復興まで生き
ていられるかどうかという話に展開していき、次の駅で小粋な80歳が「それ
じゃあどうも」と先に降りた。
終戦を迎えたのは9歳と14歳だったということだ。多くの命が消えていった
なかで、そうはならずこの朝の電車で出会った2人だ。たまたまの偶然で
はあるが、数々の障壁を乗り越えた上に成り立っている。そして…、2人
は2度目の危機的状況を迎えたのかと、つい思ってしまった。顔に刻まれ
たしわは、歩んできた人生の深さを物語っているようで、さらに今回新たな
しわが刻まれたのだ。それにしてもなぜこのお2人は立っているのだろうと、
ものすごく腹が立った朝である。ねえ、ACはあんなに訴えていたじゃない
ですか。広告費で換算したらものすごい額の量を垂れ流していたのに関わ
らず、なんとも寂しい光景だった。
逆にチョットいい話である。土曜日の日経の夕刊にデカデカと掲載された、
バイク業界にいる人間にはとてもうれしい記事だ。全国の1,400のバイク
販売会社が加盟する全国オートバイ協同組合連合会が宮城県にライダー
を派遣していると。「寸断された道 物資と情報乗せ」、「ライダー 運ぶ 伝
える」、「山間部の声 自治体に」との見出しが躍っていた。この記事を見る
直前の土曜日の夕方、偶然にもここの会長である吉田さんと僕は話をし
ていたのだ。4月7日に書いたチャリティバイクイベントに協力してほしいと
の要請に、喜んでと快諾していただけ奔走に少しだけ光が見えたのだった。
残念な話といい話がクッキリと際立って胸に迫ってくるのは、1ヶ月を過ぎ
てもなにも見えてこない状況にいる不安感によるものだろう。残念な話には
とことん嫌がり、いい話はホントに心が暖まる。ただ、あまり過剰に残念な
こと悪いことを攻める風潮が、こんな自分でありながら少々怖い。そんなつ
もりはなかった軽はずみな行動やチョットした間違いが、逆に起こりやすい
のだと容認する余裕や気持ちを持ちたいと思う。
さて、今夜東北へと旅立つ。短い時間ではあるが飲み込んでこようと思う。
惨状をこの胸に焼き付けてなお、余裕を持とうとする自分でいられるだろう
か? 自分を試す取材であり、このような気分でのぞむ取材はつたない仕
事人生でも初めてである。この取材に関しては記事になるまで声を上げ
ないつもりでいる。