【発売! 昭和40年男 2016年4月号】上田馬之助の徹底したヒールぶり。

本誌プロデューサー昭和52年 の洋楽体験について書いていました (コチラ) が、先日、取材後にスタッフと食事した際に、なぜ歌謡曲より洋楽ロックが偉いような感じがしたのか、ということが話題になりました。好き嫌いがあるのは当たり前としても、それ以上に格上、格下の判断が当時あったように思うのです。もちろん、地域差や個人差はあったでしょうからそうでない人もいたでしょうけれども、そのように感じた人も確実にいるのではないかと。なぜそうなったのか、洋楽が日本に入ってきた経緯や、音楽の歴史にまで遡っての説明が試みられて、なんだかすごく盛り上がっちゃったのですが、結果からいうとそれくらい洋楽が日本の音楽シーンに大きな影響を与えたということなんだと、当たり前な結論に達したのでした。話題はマルクスの資本論にまで到達して、この日のスタッフの知識に舌を巻いたのでした。いやーうちのスタッフすごいです。

さて、今日も前置きが長くなっちゃいましたが、最新号 (vol.36) の紹介ですよ。今日紹介する記事はこれ。

昭和40年男 上田馬之助

連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』では今回 昭和52年 を取り上げたのですが、この年に新日本プロレスに参戦してタイガー・ジェット・シンと共に大波乱を巻き起こした上田馬之助にスポットを当てています。

上田馬之助といえば、大変めずらしい日本人として活躍した悪役として我々の記憶に残っていますが、そのプロフェッショナルぶりが広く知られるようになって、再評価が高まっているプロレスラーでもあります。本記事では、上田番として親しくしていたトシ倉森さんにインタビューを行ない、新日本プロレス参戦だけでなく、そこに達するまでの経緯や因縁などにも注目して、この年に人気が爆発した背景を、トシさん保有の貴重な写真と共にまとめました。

髪を金色に染めてまだら狼、金狼としてヒールになりきった上田馬之助が、何を考え、何をしたのか。後年の事故後の暮らしなどにも触れて彼の生き方を追いかけました。ぜひ読んでほしい記事です。3月11日に発売された『昭和40年男』2016年 4月号/vol.36 をぜひ手にとって見てください。
 

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5件のコメント

  1. 30年代生まれのマンガ家です。
    実は上田馬之助はわたしの叔父でして…
    馬之助の記事を見つけて思わず雑誌、購入しました。
    ところで80年の初め頃だったか叔父と二人で居酒屋に行ったことがあります。
    記事にもあるように、そのときも店内でヒール振りを発揮!
    店の人をビビらせていました。
    記事を読んで、そんなことを懐かしく思いだしました。

  2. 追記。人気レスラーがテーマ音楽で入場することが定着したのも昭和52年です。

  3. 昭和52年って、一方の全日本がミル・マスカラス、テリー・ファンクのベビーフェイス人気の確立で、外国人人気選手に頼る時代になった。
    従来の外国人=「悪」という概念が完璧に払拭された年と言えますね。

  4. 1970年代で、日本人が金髪にするだけで衝撃的でしたね。
    翌年の釘板デスマッチも衝撃的でしたね。
    猪木、馬場に腕殺しで敗れたのも彼だけ。
    彼がいなかったら、プロレス面白くなかった。

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