俺たちの舌はおっさん化している!!

幼少から育ち盛りの頃のことだ。カレイやヒラメの煮付けなんてものを晩飯のおかずにされたときの悲しみったらなかった。文句を付けようものなら烈火のごとく怒られる。そして「食べるもののなかった時代は〜」から始まる戦後のモノトーンな話へと続くから、心で泣きながらもいただくしかなかった。晩飯が人生の大きな楽しみだった少年は、その日のおかずがそれらと知ったときには大きく落胆したものだ。

翌朝にもその不幸は続いていく。煮こごりだ。親父とお袋はうまいうまいと喜ぶが、俺と弟にはなんのことかさっぱりわからない。「ゼリーみたいだろ」と満面の笑みで迫ってくる親父に「ゼリーってのは甘いものだよ」と抵抗しながら、俺たち兄弟は前日の晩から続く心の難民になる。さすがにこれについては子供には無理との意識があったようで、まさか朝飯のおかずがこれだけということはなかった。だが大人たちの好物である一品に、おまけのように供されたおかずが俺たち兄弟のメインディッシュとなる。おのれ、煮こごりである。そしておのれ、煮魚だ。

煮こごりが、時は流れた。先日久しぶりの晩酌に女房がカレイを煮てくれほっぺたを落とした。「いやあ、子供の頃はなんでこの繊細なうまさがわからんのだろう」なんて言いながら笑顔のままいただいた。そして翌朝のお楽しみはあの日理解に苦しんだこの煮こごりだ。温かいご飯に乗せて解けないうちに素早く頬張ると、極上のうま味が口一杯に広がる。1粒で2度おいしいとのアーモンドグリコの名コピーを思い出しながら、前夜に続く幸せを満喫したのだった。

大人っていいな。当時のバカ兄弟に「いつかわかるよ」と言ってやりたいですな。

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2件のコメント

    • さすが、渋いっ。僕は絶対的に肉でした。

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