つい先日、ある音楽レーベルの方々との遅すぎる新年会があった。話題の中心となったのはデヴィッド・ボウイだ。それぞれの想いをぶつけ合いながら小さな小さな追悼の席になった。そして一同、最新アルバムの凄まじさを飲み込んでいたから話は延々と続けられた。
読者のみなさんは『ブラックスター』を聴いただろうか。タメ年男たちにとってボウイはとくに高い人気を誇ったわけでないだろう。だがハマった人にとっては絶対的な存在で、僕も多大なる影響を受けた。このブログでは繰り返しになってしまうが、僕はミュージシャンをアーティストと呼ぶのが好きでない。しかしヘンドリックスと並びボウイをそう呼んでいるのは、常に変化を求めながら前へ前へと進み続けたからだ。そして最終作となった『ブラックスター』も大きく前へと歩を進めた。こんな見事な人生というのがあるのだろうかと50歳の自分を照らし合わせてみると、もっと努力をせねばと言い聞かせるばかりだ。
購入したもののしばらく聴けなかった。どれほどつらい思いをするだろうと臆病になっていたが、ついに先日パッケージを開けた。深夜に1人でボウイの生命を受け取る気持ちで心を傾けると、ド頭のタイトルチューンから涙が帯のように流れてしまった。病気のことを知りながら歌を作り、音を作り、そして歌ったのだ。
50歳の俺たちだからこそ、このアルバムから得られることがたくさんあるように思う。歌詞に託されたボウイのメッセージと向き合うことを、タメ年男たちに強くご提案する。