読者イベントの前日となる、先週土曜日のこと。僕が初代編集長を務めたバイク雑誌
タンデムスタイルの二代目編集長を伴って国立演芸場に立川談慶さんの応援に
行ってきた。小さな子供2人と、奥さんのお腹には3人目の子供がいるヤツにとっては、
今回の原発問題でさぞ心労が重なっているだろうと思い声をかけたのだ。笑いで
ほんの少しでも癒せればとね。ふっふっふ、心優しき俺なのさ。
立川談志さんに弟子入りして20年という節目の公演だった。僕は会社を立ち上げて
来年が20周年だから1年後輩なんだね。『昭和40年男』をキッカケに知り合った談慶
さんの噺を聞きにいくのは4回目だ。いつも感心させられるのは、たった1人でのライヴ
だということ。これほどシンプルな表現方法でありながら、聞き手に多くの世界を広げ
てくれる。談慶さんと出会わなかったらたぶんまだ知らない世界である。ありがたや。
残念ながらキャンセルが相次いだそうだ。時節柄仕方ないよね。そう、時節柄…、舞台
に立つ本人は大変だと思う。日本中が苦しんでいるときに笑いを供するということが、ど
れほど痛いか、少しはわかっているつもりだ。自分を推し進めていこうとする鉄の意思を
持ってしても、やっぱり心は痛いものなんです。談慶さんとはまだ話せていないから僕の
気持ちになってしまうが、がんばった分だけ反作用があるのは本音である。だがそれが、
今自分にできる最大の貢献だと信じて動いている。談慶さんも中止を考えたと語って
いたが、断行したのはおそらく同じように気持ちを持っているのだろうと思う。大きな覚悟
というか腹をくくらなければならない。それはそのままパワーとなって噴出する。言葉に
気合いと魂がのっていく。そんな風に思えた。休憩とゲストの歌を挟み再度登場すると、
さらにパワフルに演じてグイグイと引っ張られる。笑いがドンドン大きくなっていくままに、
40分ほどの噺があっという間に感じさせられる圧巻の出来映えだった。素晴らしい。
下げた瞬間、涙があふれた。素晴らしいっす、ありがとうございます、とね。
結果的には、すげえパワーを充電でき僕の表現に勇気をくれたのだった。そのカタチが
翌日の読者ミーティングであった。これまでだって一生懸命やってきた。精一杯やって
きたつもりだ。だが、やはりあの日を境に変わらなければならない、ギアを上げなくては
ならないという気持ちがレベルを上げていくのだと思う。きっと談慶さんもそんななにか
が取り付いてのこの夜だったのではないだろうか。生意気な言い方だが、これまで見た
中で最高のできだった。
「昭和40年男? 俺のことじゃん?」・・“サイトタイトル” にヤラれました! まったく!なんて良いサイトなんですかぁww (T^T) 残念がら、我がホームグランドの佐賀には貴誌の知名度がありませぬ(涙)微力ながら、同世代への布教師として立ち上がりましょう。…これ、天の啓示かもしれませぬ。そして、新しい時代の我らがポータル基地として、一層の教線拡大を激しく希望致しております m(__)m がんばってください!
おーっ、うれしいっす。ありがとうございます。佐賀だけでなくまだまだ全国的に知名度がある雑誌ではありませんよ。これからですから。ちなみに10月16日に佐賀でイベントを予定しています。なにか一緒に企画しませんか? 単純に40年男たちの呑み会でもいいですが(笑)。