今年も、もう4分の1の月日が過ぎるのですな。いつもなら「早いもので〜」
とか言いつつ、焦りとかそんな感覚を持って迎えるのだが、今年は誰もが
複雑な感情とともに暦を眺めているのではないだろうか? めでたく楽しい
お正月を迎えた僕たちが、まさか四半期を終えた今日がこんな日になって
いることなど想像したはずはない。もちろん、経済はさぞ厳しい局面を迎える
だろうとか、この年齢になっての仕事への向き合い方とか、ラクな予想では
なかったかもしれない。それでも燃える気持ちでスタートしていたのではない
だろうか。
あの日以降も元気に自分を推し進めることを心がけている。ネガティブを
訴えたところで何にもならないから。だが、やはり心は痛く不安はつのる。
今日は多くの企業が決算日を迎えているだろうから、今バタバタの締めに
追い回されながら、心の空転を味わっている人も多いのではないだろうか?
都知事の石原さんは花見を自粛しろと言ったそうだ。確かにこの時節に公の
場で酒をかっくらい、大騒ぎしている姿をさらすことに対して不謹慎だと感じて
しまう気持ちもわからないではないが、でも都の長がコメントを出すような問題
なのか? 大きな違和感を感じてしまったというのが正直なところだ。そんな
こと言われなくとも自粛ムードになりますよ。でもね、そこをスパッと割り切って
楽しむ人がいることも容認できるくらいでなければ、復興の日は遅れるばかり
じゃないか? 悲しみや苦しみは残念ながら誰1人として同じじゃない。「だから
悲しんでいない者は大騒ぎをしていい」なんて子供じみた話じゃなくて、悲しみ
や苦しみを乗り越えるのは自粛からではないということ。酒をかっ食らって騒ぐ
からダメで、満開の桜に静かに心を奪われるのはいいのか? そんな単純な
ものじゃないでしょ。
公の場という問題は確かに存在する。たとえば僕にとっては、雑誌はある程度
の認可の元に発行しているのだから、“公”を意識して作っている。だが、たとえば
このブログはどうか? 微妙なバランスの上で雑誌表現よりはパーソナルなもの
であっていいと思っている。雑誌のブランドを使っている以上、節度は保ちながら。
この週末のイベントも、雑誌のブランドを使ってはいるが、クローズドスペースである
からとことん楽しもうと思っている。不謹慎とか自粛なんて言葉は一切使わないで
突き進もうと思っている。繰り返すが、悲しみの程度は同じでないが、傷があるない
でいえばみんな深く傷ついている。とてつもなく大きな傷を負った方がたくさんいて、
そこに気遣うから、僕たちは人に痛みを見せないようにしている。それこそが大切
なことなのではないか。僕は花見をするよ。それは個人的に楽しむ程度のものに
なるだろうが、花に心を託そうと思っている。
カズはダンスを舞った。不謹慎だろうか? 高校野球の勝利チームの応援団は
心の底からの笑顔を見せる。立川談慶さんは明後日に独演会を行なう。シンディ
ローパーさんはライヴを行なった。どれもこれも自粛してしまった方がいいのか?
絶対にそんなことはない。笑顔や心の喜びが連鎖していく日々をクリエイトする
のが、僕の仕事であり、みんなの仕事だ。明日から新年度を迎える方々も多い
のだから、ギアの入れ時だ。がんばろうぜ、同士たちよ。
花見が盛り上がるのって、夕方から夜にかけての電力使用量ピークの時間帯じゃないですか。照明つけずに暗がりの公園で物騒にやりますか? 消防や警察も東北に行ってて人員減ってますよね。諸々を手短にまとめると「自粛しろ」になっちゃうんじゃないですかね。関西でもやるなとは言ってないんでしょう? 歳とって口の悪いじーさん的に、言いたかったであろうこととちょっとずれた発言することが増えてる気はするけど>都知事
ナイターはやるなと言うのにライトアップ必至の花見は良いじゃないかって言うR4はなんなんでしょう。