一昨日から昨日にかけて出張だった。1月は挨拶回りと新年度からの展開の打ち合わせなどなど、出かけることが多いのは例年のことで、もう20年以上変わらない。そしてどんだけ繰り返しても出張の楽しみの1つが、富士山を拝めることだ。小さな頃は写真や絵を見ながらチラシの裏に何度も何度も書いた富士山ジャンキーで、本物への空想と憧れを大きく広げていった。成長して近くで見たときの感動は大きく、想い描いていた以上の美しさにメロメロになった。そんな僕だから出張では見逃さない。
昨日の帰り道のサービスエリアで撮った、夕暮れ前の携帯カットだ。驚愕させられたのはこの姿。雪が少ない静岡側にしてもほぼまったく山肌じゃないか。この時期といったら上から半分は真っ白で、冬の厳しさをありありと見せてくれるはずなのだが、これはまるで夏へと向かっていく富士山だ。20年以上見続けてきたがこんなのは記憶にない。ウーム。
そして今朝のこと。これは人生で初めてじゃなかろうか。会社のそばのイチョウが、この時期にしてまるで見頃なのだ。やはり幼い頃、銀杏拾いの臭気はいい思い出じゃないが、鮮やかな黄色の姿は大好きだった。当時の東京で感じられる、もっとも秋らしい光景だったかもしれない。深まる秋の風で黄色のジュウタンに変わり、それさえまったく無くなるころに暮れとなる。お正月にこんな立派に葉が付いているなんてない。ウーム。
今年のお正月は暖かくて過ごしやすかったが、それらしい気温の方が良かったように思うのはおっさんゆえか。凛とした冷たく澄んだ空気の中で、息が凍るのを楽しみながら歩く。背中を丸めるほど寒いけど、元旦はほぼいつも晴天で、その日差しの中に春を見つけるのが好きだ。
季節には、自分のなかに擦り込まれた想い出や記憶がセットになっているのだから、あまり逸脱してほしくない。幼い頃とのズレはすでに感じることばかりで、お正月好きの僕はこんなイチョウを見るとワクワクしてしまうじゃないか(笑)。騒がれている通りにこれ以上日本の季節変動が進んでしまうと、おっさんのバランスが崩れる一方だ。政府や国家間による俯瞰での対策は大切だが、1人ひとりの心がけも重要で、それを次世代に伝えていくのは我々の責務だろう。
箱根駅伝の母校の応援での早朝の大手町、今年は暖かくてびっくりでしたよ。12月の酉の市は暑いくらいだったし。風情が無いですよ、ハイ。
いいですね。大手町で応援ですか。昔、蒲田に住んでいたころは六郷橋の手前で応援してました。いつも寒すぎて震えてましたよ。