【好評発売中! 昭和40年男 2016年2月号】佐山タイガーのキックのルーツを探る。

初代タイガーマスクを考える時、佐山サトル氏の新日本入団以降の足跡を外すことはできません。佐山氏が生まれ持った天才的な才能については言うまでもありませんが、その原石ともいえる状態からいかにして磨き上げていったのでしょうか。『昭和40年男』最新号では、その道筋を探るために本人取材記事の他に3つの記事を用意しました。そのひとつが、藤原敏男氏へのインタビュー記事です。

昭和40年男 藤原敏男インタビュー

佐山氏は新日本入団当初、道場での練習が終わった後に黒崎健時氏が主宰するキックボクシングジム・目白ジムへ赴き、さらに練習していました。それがどのくらいすごいことだったかは「鬼の黒崎」という異名からもわかります。当時練習の厳しさ・苛烈さで知られていた新日本プロレスでフルに練習した後に、”鬼”のもとでさらに練習。そこで共にトレーニングに励んだのが藤原氏なのです。大変物静かで穏和な雰囲気の藤原氏は、紳士と呼ぶにふさわしい人物。しかし、実は全日本キックボクシングのライト級王者だった人物で、本場タイでもその頂点であるラジャダムナン王座を、タイ人以外で初めて獲得したというものすごい経歴を持っています。

その藤原氏は当時の佐山氏について「彼がずっと求めていたのは”最強”になるということ」であったと語っています。その信念のもと鍛錬を続けていた佐山氏と、ジムでスパーリングをすることもあったそうですが、藤原氏をして「緊張感がある」といわしめるものだったとか。この時代に負けたとはいえマーク・コステロとの異種格闘技戦に臨むほどだったわけですから、強さの片鱗がすでに現れていたといえます(ちなみに、藤原敏男氏はこの当日にメインイベントを務め、米国ワンナロン・ピラミッドとの試合に勝利)。後に本格キックの使い手として会場を沸かすタイガーマスクのルーツのひとつが、この目白ジム時代にあったことは間違いありません。

ということで、佐山氏のキックの原点を語るインタビュー記事は、好評発売中の『昭和40年男』最新号に掲載しています。ぜひ手にとってください。

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