少々前になるが、今年の日本のバイクレースを締めくくる表彰式に出かけてきた。こうした場所で次々に紹介されては晴れやかな表情のみなさんを見ているとこっちまでうれしくなってくる。と同時に、ぼんやりと思い出していたのが『輝く! 日本レコード大賞』だ。
レコ大がもっとも盛り上がっていた頃と、僕らの幼少から青年期がシンクロするように思える。個人的には、記憶に深く残っているのは昭和50年の布施明さんの受賞からだ。それ以前も大晦日のお茶の間ではこの番組が主役だったが、布施さんの受賞年からは毎年手に汗握って大賞の行方を見守っていた。そしてその興奮がピークとなったのが、沢田研二さんが『勝手にしやがれ』で受賞した昭和52年だ。僕が歌謡曲にもっとも夢中になっていたのがちょうどこの頃だ。
中学からは洋楽に少しずつ気持ちが傾いていき、やがて大賞の行方にも興味は持っているもののジュリーの時から興奮は少しずつ冷めていった。それでも、大晦日の定番として『紅白歌合戦』とともに大切な時間にしていた。今振り返って受賞曲のデータを見ると、所帯を持った後もその受賞シーンは記憶している。だが『紅白歌合戦』が開始時間を早めた頃からチャンネルは行き来をするようになり、大晦日でなくなってからはほとんど見ていない。幼少よりの年越しの行事が1つ消えてしまったことになる。
当時、レコ大だけでなく他の歌謡大賞にもおおいに注目したことの副産物が、好きな演歌ナンバーが増えたことだ。昭和の演歌は名曲ぞろいで、今年の紅白でも披露される『津軽海峡冬景色』や八代さんの名曲の数々など、その素晴らしさはこうした賞番組をいくつも見ることで気付いていった。頷く昭和40年男も多いのではなかろうか。
さて、今夜みなさんは『輝く! 日本レコード大賞』に付き合うか? 僕も久しぶりに…とは思うが、なんてったって仕事納めだから羽を伸ばす方が重要になってしまうだろうな。
ここ何年も録画はするけれど観なくなりましたし
ハラハラもしなくなりました。。。
子供の頃は、ちあきさんか小柳さんかでドキドキ・・・
尾崎さんのVサインなど印象深いシーンがありましたし
何よりも全国民が緊張しながら観ていた気がします。
高橋圭三さんや、森光子さんが
司会をしている頃が一番よかったのかも〜
レコード大賞は取るものから
今じゃ差し上げますから出てください・・・に
変わってしまった気がします・・・
今のレコード大賞は、特定の人やグループにじゅんぐりで贈呈しているだけ。
八百長、出来レースとわかっているから見る気も失せる。
2008年から今年まで、ほぼEXILEグループの独占、寡占。異常極まりない。
レコード大賞が実質役目を終えたのは光GENJIが大賞もらった1988年。偶然にも昭和が終わった年である。
みなさん、コメントありがとうございます。
みなさんにとってもレコ大は過去のものになっているようですね。なんだかもったいない気がしますね。
ぼくの場合は、1973年頃から、意識的に賞レースの番組を見るようになりましたね。
ちょうどその頃から、たくさんのアイドルがデビューしてきて、
ぼくら子供にとって、歌謡界が身近に感じられ始めた年だったと思います。
新人のアグネス・チャンさんや桜田淳子さんの受賞シーンは印象的でしたし、
あと、浅田美代子さんも気になる存在でした。
ジュリーを始め、西城秀樹さん、野口五郎さんなどは、特にこの頃カッコ良かったですねえ。
賞レースの番組は1983年頃まで楽しめました。
ちょうどその年は、高橋圭三さん、最後のレコ大司会でしたね。
りべともきさん、コメントありがとうございます。
高橋さんの司会は重さと軽妙さがものすごくいいパランスでしたよね。あんなタイプの司会者は昨今思い当たらないですね。
家族全員でテレビを見ていた大晦日。
レコ大、紅白でピンクレディや沢田研二が出てくると必ず親がケチをつける。
逆に五木ひろしや北島三郎の場面では子供がケチをつける。
ケチつけ合いながら結局紅白のエンディングまで一緒に見ていたのが昭和の家族でした。
あの頃、好きなテレビを占領される演歌と時代劇がイヤでイヤで。自分だけの
テレビがほしいと思ったものです。
時は流れ口ゲンカばかりだった父親ももうこの世にいなくなり、
テレビからあまり流れなくなった演歌やたまに再放送される水戸黄門などを懐かしく観ています。
そう、なんだかんだ言って昭和40年男に演歌と時代劇は大切な思い出だったのです。
そろそろ昭和40年男の表紙を中村主水(モノクロ)でお願いします(笑)
まこぱぱさん、コメントありがとうございます。まったく同じような両親のぼやきを思い出しました。