新幹線と昭和40年男。

東京オリンピックに合わせて開業した東海道新幹線だから俺たちの1個上だ。初めて乗せてもらったのは熱海までの家族旅行だった。行った先での記憶は薄いのだが、新幹線に乗った記憶は鮮明に残っている。電器屋を営む親父が、メーカーからの研修と名の付いた、実態はドンチャン騒ぎを目的とした1泊の招待旅行で前日に現地入りしていた。せっかくだから1泊追加して家族4人で楽しもうとのナイスな企画で、憧れの新幹線を初体験したのだった。

小学1年生だったと記憶している。半ドンの土曜日に学校から帰ると、お袋と一緒に店を閉めて出かけた。まだ小さな弟の手を引き、夢の超特急に興奮しながら乗り込んだ。シートがカッチョよく感じて、車内がなんとなく豪華に思えた。流れる景色を眺めながら、いつ時速200キロになるのだろうとワクワクしているうちに目的地に着いてしまった。もっとドバビューンと行くスピードを想像していたのだ。そのことをオヤジに告げると、初めて乗った時は同じことを思ったと言う。と、そんなやりとりまでハッキリと覚えているのは、それだけ興奮したからだろう。

富士山

時は流れた。バイク関連の仕事を多くこなす僕にとって、新幹線はなくてはならないものになった。ヤマハとスズキの本社が静岡県で、カワサキが兵庫県だから新幹線のヘビーユーザーである。その僕が狙う席は当然窓際でEだ。A席は熱海辺りで海を楽しめるのがいいが、東海道新幹線の主役はなんてったって富士山である。ところが富士山てのはちょっと機嫌を損ねると隠れてしまい、ガッカリすることも少なくない。だからこそ、見えた時の喜びが増すってもんだ。前回出張の時は雲が多くて少々見づらかったが、これならまあよしとする。

自由席そんなヘビーユーザーの僕は指定席を取ることがほとんどない。平日のビジネスユースでは指定席の方が込んでいることがちょくちょくあるのだ。先日も知人と同じ電車で掛川に向かい現地で落ち合おうとなった。「まいったまいった、B席でしたよ」とのことだったが、僕は隣が空いたままのE席で行けた。Bは新幹線でもっとも嫌われる3人掛けの真ん中だ。「自由席はガラガラでしたよ」と、ちょっと自慢げに伝えたのだった。指定料金もないし、みなさんもトライしてみますか?

移動中は仕事にあてることばかりだが、しばし手を止めてボーッと車窓から景色を眺める。すると初めて乗ったあの日のことがよみがえる。この歳になっても、そして何度乗ってもなんとなくワクワクしてしまう昭和40年男だ。

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