駅から家まで10分少々歩く。その間にセブン、ファミマ、セブンとコンビニがあり、深夜に帰ることばかりの僕には便利なことこの上ない。いや、呑んで帰る日のことを考えると迷惑の方が大きいかもしれん。ついつい寄ってしまい、パスタや焼きそばを買って帰ることになる。さんざん迷って手にしたパスタをレジへと運ぶと、中華まんやおでんの誘惑がレジで待っていて、欲求のままにおでんを選ぶ僕は翌日後悔することなどまったく考えていない。こうしてまた体重を増やし、寿命は減らすバカモノである。
それでなくとも便利なのに、先日さらにファミマがオープンした。酔っぱらいの僕は4度の誘惑に打ち勝って帰宅せねばならず、やはり便利というより迷惑である(笑)。
コンビニによって生活は激変した。逆サイドから見ると、生活が激変したから必需になった。「24時間戦えますか」に象徴される、眠らない日本になって久しい。眠らない都市を24時間営業の店舗がますます眠らせなくしていく。僕の帰宅コースにはコンビニだけでなく、マックとすき屋も深夜の街で奮闘している。
イベントで地方に行くことの多い僕にとっても大変助かる。高速のインターそばには大概コンビニはあり、もはや開いててよかったじゃなくてなくては困る存在だ。深夜に移動して集合時間に遅れないように余裕を持って向かうから、現地には真っ暗な深夜に着くことがほとんどで、そんな中でしっかりとサポートしてくれる力強い存在である。
だが、建物がほとんどない真っ暗な道で煌煌と輝く店舗は、不気味に感じさせるのも正直なところだ。我が家の近所もしかり。最終電車の時間を過ぎるとほとんど誰も通らない道沿いで、6軒もの24時間店舗が開いている。当然ながら客はほとんどおらず、だがそこで働く人だけがいて、シンボリックな看板はガンガンに光を放っている。便利なことは引き換えに何かを捨てねばならぬ。その何かが些細なこととは思えないが、お世話になりっぱなしの自分がいる。なんとも歯がゆい。
利便性が何かを滅ぼしている。
もうすぐ正月ですが、幼稚園や小学校の頃って、少なくとも三ヶ日はどこの店もお休み。
冬休みでもある俺と弟は大晦日前に近所のスーパーに正月用のお菓子を買い込むのが儀式だった。
不便というよりも何だか楽しかった。
ネットで直ぐに何でも調べられて、何でも買える現代は、本当に幸せなのだろうか。
おっしゃる通り、僕も大晦日の買い物ラッシュが大好きでした。この日ばかりはお袋の付き添いも喜んで務めましたね。