お正月へと突っ走る昭和40年男。

加齢とともに、自分のなかでお正月の価値が上がっている。年末年始こそがかき入れどきだという方には申し訳ないが、僕はここ近年大晦日から新年3日は完全オフにしている。加齢とともにとしたのは、ただあたり前の幸せの素晴らしさが年々強く感じるようになってきたからだろう。加えて、昨今のスビード社会とのつきあいが、お正月のありがたさに拍車をかけている。

普段、オフに“完全”をつけられる人がどれ程いるだろう。お仕事メールは、土日もお盆もゴールデンウィークも容赦なくジャンジャン入ってくる。情報も24時間いつでもあふれているから、突如として性能の悪い頭にフル回転を強いられることもしばしばある。俺たち世代のかつての仕事は、会社に出なければ諦めるしかなかった。メールどころか携帯もないわけだから、社会の多くは土日に仕事をすることを放棄していた。が、そんなのはもう昔々の夢物語だ。職種にもよるだろうが、スピード社会とは緊急につぐ緊急を要するから完全オフなんてのは不可能になった。

おせちだが大晦日になると突如その日が訪れる。静かだ。メールは数々舞い込んでくるが、仕事のものはほぼ混じらない。情報もきな臭いものは無くなり、ほとんどが穏やかなものばかりになる。これが至福だと感じてしまうのは、よくよく考えたらおかしな話かもしれないが、喜びとはそんな反作用からも得られるものだ。361日間走り続けた末に訪れる、静かな4日間だから幸せを享受できるのだ。今の時期になると、アチコチでこうしたおせちの予約開始を見かける。それだけでお正月が来るのをイメージしてニヤニヤが始まり、はやくこいこいお正月♪と口ずさむ僕だ。

そんな近年の幸せが崩れさったのは一昨年の大晦日のことだ。大滝詠一さんの訃報が入った。詳しくはコチラを見ていただくとして、偉大な音楽家の死は大晦日に強い悲しみを連れてきた。さらに仕事モードにスイッチを入れることになったのは、新年早々の発売号で『シティポップ』特集を組み、その表紙を彼の傑作『ロングバケーション』のパロディで作っていたからだ。出版停止の文字が脳裏に浮かぶものの、誰に相談できることなく1人で悶々としながら過ごし、完全オフにできない年末年始となったのだ。これに続いて今年のお正月はカゼをひいて、大晦日から元旦には高熱を出した。体調不良の三が日を結局は気力で呑み倒したが、楽しさ半減は否めなかった。

2年連続で逃してしまった至福を取り戻す。50代最初のお正月はとびっきりの日々にするように、くれぐれも体調には気をつけたいものだ。お正月くらいなんも気にしないで大酒をカッ食らう。いくつまでガハハと笑ったままで過ごせるかが、人生のテーマにもなりつつあるバカモノだ。

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2件のコメント

  1. プロデューサー、久しぶりです!!
    僕の場合、いまはクリスマスや年賀状、おせち・・なんて言葉は聞きたくない。
    「おいおい、また正月かよぉ~」みたいな感じですが、12月に入ってしまうと
    観念して年末モードに浸るんですよね。

    第九やが聞こえはじめ、テレビ番組が特番だらけになり、夜の街の人の波
    とても風情を感じるんですよね。

    年末とお正月の雰囲気は本当に好きだなぁ・・・。
    年末年始の非日常的異空間が愛おしくてなりません。

    • ジョニー藤好さん、いらっしゃいませ。
      そうそう、非日常的異空間てまさしくその通りですね。あの雰囲気に浸って、人それぞれの時間を過ごす。そんで3日の夜はまた1年後のお正月に向かってちょっと寂しくなる。その繰り返しですなあ。

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