まだ外食が産業などと呼ばれる前に幼少期を過ごした俺たちだ。外で食べるとすれば、そば屋か赤いのれんの中華屋が定番だったのではないだろうか。本当は洋食がいいのだが、店舗が少なくてなかなかありつけることはなかった。デパートなんてそうそう連れて行ってもらえなかったし。近所に小さな洋食屋ができて家族で出かけたときは、ものすごく緊張したなんて想い出も残っている。
てなわけで、赤いのれんの中華屋さんには愛着が強い。もちろんすべてが赤いわけじゃないが、いわゆる街の中華屋が大好きだ。風景にとけ込んだようなそば屋も同じく大好きで、知らない街でいい面構えの店を見つけるとついつい吸い込まれる。ぐだぐだと説明のいらないうまさがいい。
写真のラーメンはちょくちょくお世話になるものだ。隣に半チャンがあるのが50歳にはよろしくないが、まあたまにはよかろう。ここのスッキリと澄んでいるスープは、たくさんの野菜と鳥がらを弱火でじっくりと取っていて、いつもホッとさせられる。仕上げにハイミーがパッパッパとされているのも昭和の味といえばよいだろう。使わないにこしたことはないだろうが、目を吊り上げて弾圧することはないと僕は常々思っている。忙しい昭和の主婦の仕事量を軽減させたり、どんな料理屋さんもそこそこうまく食わせられた功績は大きい。そして昭和の味を引っ張っている中華屋さんがこれを使うのは、店の伝統と受け止めればいいじゃないか。嫌ならば赤いのれんにいかなければいいだけのことだ。
チャーハンにおいては、化学調味料の恩恵がなければ今程の地位は築けていなかったのではないか。この店の半チャンとは値段ばかりで普通に一人前は盛ってあり、定番のセットを完食するとさすがにしばらくは口の中に“うま味が”残っている。それもまたいとおかしだ。
幼少の頃の食卓で、「今日は生揚げよ」という地獄のような日があった。1人1枚ずつの生揚げが支給されて、みなまずは箸でぶすぶすとたくさんの穴をあける。そこに出たーっ、味の素を振るのだ。そのままレンジでチンしてネギとショウガと鰹節をかける。当時は削りたてを使っていたのだから、べつに味の素なんか使わなくても十分にうまかったはずだが、ろくに食いものがなかった親父にとってはよりうまくするためのプラスαで、豊かな時代の到来を満喫する贅沢だったのかもしれない。
なんて想い出まで連れてくる昭和の中華屋さんだ。食べてしばらくするとまた無性に食いたくなる一杯だが、心配なのは親父さんがずいぶんお歳を召されていること。みなさんの周囲でも高齢化どころか、たたんでしまった店も少なくないだろう。よほどの想いがなければ、あのキツイ商売の後継者にはならないだろう。今のうちにたくさんの中華屋を訪ねておいた方がいいかもしれない。そこでは少々口に合わなくても目をつぶるのだ(笑)。
近頃はゴージャスなラーメンばかりなので、こういう写真を見るとホッとしますね(笑)
でしょう。澄んだ醤油味のスープがホッとして最高なんですよ。