なんだかキッスのアルバムタイトルみたいだが、僕にとってはそんな気分の封筒が先日届いた。ならそんなの出なけりゃいいって話なのだが…。
毎年1月の最終日曜日は42.195㎞の旅に出る。もう20年以上も続けてきた僕にとっては健康診断でもあるのだ。この距離を走りきれれば大きな病気はしていないと勝手に位置づけて、その直後にある会社の健康診断はずっと無視していたほどだ。最近はキチンと受けるようにしているが、この距離へのトライの方を重視しているのは、肉体だけでなく精神の健康も求められるから。折れずに最後まで走り抜くのは相当の強さがいる。逃げ出したくなるほどつらいが、ゴールした瞬間はたとえようのない感動を味わえて、その大きさは地獄をくぐった分だけ大きくなる。大げさに人生なんてことを考えてしまうゴールが待ち受けているから今回もすでにエントリーした。
心配なのは、肉離れをやっちまったことだ。僕にしてはわりとしっかり走り込んでのぞんだ今年1月のフルが、ふがいない結果に終わった。40代最後のメモリアル大会だったのに、ならば50代最初の大会はやったろうとすげ替えて奮起した。これまた僕にしては速く走れるようになったが、その負荷におっさんの足が耐えられなかったのだろう。けっこうな重傷だったのに加えて、治りかけでもう一回やっちまって、その後は追い込んでいない。2度もやると学習するもので、傷めた場所の悲鳴が聞こえるようになった。ゆったりとしたジョキングペースなら問題ないのだが、ちょっとペースを上げると「肉離れしちゃうぞー」と語りかけてくる。50歳とはこういうものなのだろう。まあ、フルではスピードを出せないから楽観視しているが、これまでも感じていた減衰のカーブが加速気味であることが今回よ~くわかった。このカーブは、なんとか少しでも緩やかにさせたいものである。
肉体の衰えは仕方なしと割り切れるが、気持ちが降りようとするのは避けたい。でも断念する日ってけっこうそっちだったりするのだろうか。こちらの減衰はなんとしても阻止したいと強く思う今日である。