ここ近年、秋の我が家のお楽しみになっているのが、わずかな間だけ出回る生筋子をしょうゆ漬けにしたいくらちゃんだ。いろんなばらし方があるそうだが、ウチはごらんのとおり魚の焼き網を使っている。絶品のいくらと新米をいただく幸せは日本人でよかったと神に感謝する。が、うまいものはおっさんの体にインパクトがあるものが多く、いくらもあまりよろしくないようだ。魚卵系は全般褒められたものでない。痛風を恐れている僕なのだがしかし、その誘惑にはあっさり負ける。いくらだけでなくたらこ、ウニ、アン肝だって大好きなのはほとんどのタメ年男たちも頷くはずだ。
このいくらだが、1,000円ちょっとでこれだけ大量に仕込める。安い買い物とはいわないが、お正月用に買うパックから考えると半値以下に感じる。まさに旬のありがたさだ。2ヵ月も無いこの期間をめいっぱい楽しみたいもので、我が家の仕込みはそろそろこれが最後になるだろう。年に1度の巡ってくるお楽しみ期間を、何歳まで気にせずにいられるだろうかなんてくだらないことを考えるのは、やはり魚卵にビビっているからだな(笑)。
健康は足し算と引き算の繰り返しから得られる。睡眠や運動、体にいい食べ物に節酒などなど、縁のない言葉ばかりが足し算として並ぶ。魚卵は引き算で、深酒も深夜のラーメンも同じだ。よくよく考えれば、僕の生活は圧倒的に引き算が多くて10代の頃からずっと続いている。でも引き算の中にもプラス要素はある。楽しく過ごすことから得られる笑いは圧倒的な足し算だから、人生ってのはおもしろい。節制に節制を重ねていても笑えない日々だったら、引き算以外のなにものでもない。我々おっさんが“秋の味覚に震える”のは、魚卵へのビビリと幸せの両面からということだな。なんて言い訳をしながら秋の味覚に舌鼓を打ち鳴らす。まったく困った昭和40年男である。