スッピンの富士山に酔う昭和40年男。

富士山先日の出張では素晴らしい秋晴れが広がり、新幹線の車窓から大好きな富士山のスッピン姿が見えて思わず携帯に収めた。僕は新幹線に乗るときは必ず富士山側の席を狙うが、意外と見えることが少なくて印象としてはがっかりすることの方が多い。バイク雑誌もたくさん作っているウチの会社では富士山周辺は格好のロケ地なのだが、僕の印象どおり担当者たちは泣かされることが多い。知り合いのカメラマンの言葉を借りると、富士山は近隣に住んでいて時間のたっぷりとあるアマチュアカメラマンの方がいいコレクションが多いそうだ。これも頷けるほど、機嫌をそこねていることばかりだ。

日本人に様々な感情を抱かせる山で、司馬さんが『竜馬がゆく』で書いた言葉がなんとも象徴的だ。「血の気の熱いころにこの風景をみて感じぬ人間は、どんな才があってもろくなやつになるまい」としている。うーむ、僕はいまだに血の気が多いのだなと頷きつつ、去年も10月に同じようなことを書いていることも笑える。なんともいえないおおらかさにも感じ入ったり、いろんな感情を連れてきてくれるのは人生の年輪のおかげで、年々深まっていくのだろう。

この姿に感動しつつ、そろそろ始まる雪化粧への期待が高まる。少しずつ白の部分が増えていく変化は、これも日本人の楽しみだ。きっと人それぞれに好みの黄金比があることだろう。角度にも好みが別れ、山梨vs静岡の論争も部外者にはこれまた楽しい。なにかと騒ぎまでをも作ってくれるのは、その美しさゆえだろう。

秋が深まっていく。次回会えるときにはうっすらと化粧を施していることだろう。昭和40年男たちの人生もちょうど秋を迎えているのだから、この季節を存分に楽しみたいものですなあ。

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