彼岸に思う家族のあり方。

IMG_2413家の前の土手には彼岸花が咲き乱れている。異常気象でもキチンとタイムキープできているのですなあ、偉い偉い。一昨日より彼岸でそろそろお墓参りなんてタメ年諸氏も多いのでなかろうか。

僕は長男なので「墓を守る」という言葉を親父からよく聞かされてきた。おじいちゃんにはアニキがいたから、そこが初代になって僕が三代目となる北村家だ。歴史の浅い家ながら、正確な家系図がない。僕の代で出来るだけ精度の高いものを作っておかなければイカンと思いながら、なかなか着手していない。50歳を機に一念発起するかな。

それにしてもこの「墓を守る」ってのが困難になっている昨今だ。実際、自分の代で終りになろうというタメ年諸氏も多いだろう。僕のところはなんとか四代目の息子にバトンは渡せるが、果たしてバカ息子がいい娘さんを娶ることが出来るのだろうか。僕に娘がいたらヤツになんかやらないぞ(笑)。いやいや、娘さんを誰かにやるのはお父さんとしては無理ですよね…って、ちょいと話がそれた。

ウチのお寺さんでは、近年ドンドンお墓が倒されていて、それが年々増加の一途をたどっているのは「墓を守れなかった」家々だ。先日は我が家の隣の墓が倒されていて、なんとも寂しい気分にさせられた。今回もそんな姿を多く見せられることだろうが、こればっかりはそれぞれの事情で仕方なしである。そうそうカンタンに跡取りができるもんじゃない。

だが僕は、何度も何度も「墓を守れ」と言われ続けた。こうした理屈を超えて「せねばならぬ」を口にする大人が、昨今減っているように思う。誰もが大好きな「自由」の対極にあるとも取れ、現代に似合わない言葉に成り下がってしまった。時代遅れの僕は、息子に多くの「せねばならぬ」を強要してきて、「墓を守れ」とは親父同様に指示している。

我が家では墓参りも行かなければならぬ家族行事で、彼岸にはキッチリと出かけたものだ。強要するだけでなく、家族のあり方やよき習慣の上にこそ成り立つ「せねばならぬ」であり、キチンと守っていきたいところだ。近年はお袋と極力時間を合わせて墓参りに出かけている。その度にうまいものをごちそうしてやり、そのまま呑み会となる。親孝行も「せねばならぬ」であり、墓参りとセットにしているのはなかなかの省エネでよい(笑)。今年もそろそろ出かけるかな。

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4件のコメント

  1. 我が家は転勤族ということもあり、家業を継いだ弟が墓も面倒みてくれています。
    感謝です。
    墓参りもままならない状態で、御先祖さんには不義理をしています。
    罰当たりです。
    この歳になると自分の墓を考えます。
    いろいろありますねぇ、大変だ。人生は。

    • 平成乃昭和さん、ありがとうございます。
      それぞれ事情がありますよね。ホントに大変だ人生は。50歳になってつくづく感じます。

  2. いいですね~「お墓を守る」は逆に「お墓に守られる」=ご先祖に守られている事に感謝し・・・・また親の感謝し~~~そして美味いモノを食べて帰る それは素晴らしいですね。

    • 40年僧侶さん、ありがとうございます。「お墓に守られる」。胸に刻みます。

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