ディスコナンバーがヒットチャートを埋め尽くすかのようにブームになったのは、70年代後半のことだった。映画『サタデーナイトフィーバー』がブームを決定づけるかのように大ヒットして、その後も何年かはディスコナンバーがヒットチャートを賑わせ続けた。まだ中学生だった俺たちは、その絶頂期へと向かっていくワサワサ感を知らない。5つ上前後の先輩あたりはブームがスゴイことになって行くのを体感したのだ。うらやましいこっちゃ。ただ、僕らもヒット曲の多くを知ることが出来て、フィーバーはしなかったもののその騒ぎには付き合えた。
ソニーよりリリースされるコンピレーションアルバム『ナンバーワン ORICONヒッツ』の仕事を引き受けたおかげで、そのラインナップを眺めながら記憶のフラッシュバックを楽しんでいる日々だ。このアルバムは70・80・90年代に日本が誇るオリコンチャートの1位を獲得した曲からセレクトされている。70年代バージョンに収められた『宇宙のファンタジー』『ハロー、ミスター・モンキー』『悲しき願い』あたりが中2のディスコヒットで、『ホット・スタッフ』『ギミー・ギミー・ギミー』あたりが中3だから、ちょうど洋楽に入門した頃のヒットとして記憶しているタメ年諸氏は多いのではないか。いやいや、洋楽なんてもっと後だよって方でも、このあたりの曲はきっと耳に残っているはずだ。ウォークマンはデビューしていたものの、当時はまだ音楽はパーソナルなものでなかった。街には音があふれていたし、ラジオは俺たちの情報源だったからこれらのヒット曲は耳にすることが多かったはずだ。
70年代後半のヒットシーンを彩っているのが、数多くのディスコナンバーである。だがおもしろいことに、時をほぼ同じくしてパンクやテクノなんて音楽も出てきた時代だ。発展を繰り返してきたシーンが1つの沸点を迎えたのが70年代後半だったと言える。そのシーンをリアルタイムで垣間見ることが出来たのだから昭和40年男は幸せ者だ。
ディスコと言えば、中2のときに5つ上の従兄弟の家に泊まったときのことを思い出す。大学生でチャラチャラしていてディスコサークルに入っていた。彼の部屋で最初に聴かせてくれたのはシックだった。ハードロックばかりをむさぼっていた僕にオシャレサウンドが響き渡った夜だ。ステップの時代で教えてくれて、今度ディスコに連れて行ってくれると約束した。その約束はいまだに置き去りのままだ。
満を持して登場ですな。( ̄^ ̄)ゞ
おっしゃるとおり我々は中坊時代。
兄貴や姉貴のいるやつの家に遊びにいくと、有りましたねぇ。
俺がよく聴かされて影響を受けたのが、アラベスクとボニーMでした。
勿論、シックもバリバリでしたねぇ。
坊主頭が背伸びしていた時代ですわ。f^_^;)
そしてテクノとロカビリー第二次ブームに乗ってしまったあの頃。。。
兄貴、姉貴がいる友人がうらやましかったですね。でも、ほとんどが下は最悪って言ってましたが。
野球部の坊主頭が洋楽に背伸びする。まさしくそれでしたね。
アラベスク!
ネーナといいノーランズといい、この路線はイイ!
アラベスクで一番聞いたあの曲の曲名が思い出せない。なんだっけか、るしふぁーとか単語が出てた気がするんだが・・・
でしょ、これ楽しみですよね。90年代はよくわかりませんが(笑)。