日本橋から京都までの徒歩の旅企画を掲載するべく、編集金子と共に
歩き続けてた旅をつい先日、フィニッシュした。歩いているといろんなことを
考える。そして行きついた、僕にとっての旅とは何か?
そもそも今回の旅は、11〜13日の3連休でスケジュールを組んでいた。
前日僕は、山本昌さんの取材で沖縄にいた。夕方、武田と連絡を取ったら
翌日は大雪らしいとのことだった。うわーっ、日本が狭いなんて誰が言ったと
実感できたほど沖縄は暑かったよ。結局、取材に出かけられる準備をして、
朝5時に連絡を取り合って決定しようということにした。最終便の飛行機で
東京に戻り、1時間ちょっとの睡眠で起き準備をしたが、天気予報は好転する
ことなく延期を決定したのだった。その日の夜、箱根でスリップした車が人を
はねたとニュースが伝えていたから、撤退は正解だっただろう。ただ、この
時点でスーパー多忙な2人(編集の金田と武田)とスケジュールを合わすことが
大変だった。ボク自身も数件のスケジュールを変更してもらい、やっと調整
できたのは16〜18日の夕方までとなった。ここでは雪が降ろうともう行かねば
ならぬと覚悟を決めたが、いやー、日頃よいことばかりしている僕にはやっぱり
神様が微笑んでくれるのだね。2・3日目は雨の予報だったのに、2日目は
今にも降り出しそうながらなんとか持ちこたえ、その夜に大雨がジャンジャカ
降って朝からはみるみる回復するという、まさに神がかりのようなコンディション
で取材ができた。僕たちのおバカな旅に乞うご期待ですぞ。
3日間、男3人で過ごした。前回は4日間だ。京都に着いた頃、変な仲になって
いないように気をつけたいところだね(笑)。武田は撮影に専念なので車に機材を
詰め込み、先回りしながら撮影ポイントを探し、テクテクと歩いてくる僕たちを待ち
続ける。なんとも非効率的な現場だが、『昭和40年男』はヤラセを憎むから、当然
のことひたすら歩く。以前、ウイスキーの撮影に行ったら「ホントにウイスキーで
撮るんですか?」と聞かれたとがある。ある有名情報誌を含め、ほとんどすべてが
ウーロン茶でやっているそうだ。 「?」 僕にとっては驚愕の話だが、みなさんどう
思います? 確かに写真の上では100人が見ても100人とも疑わないでしょう。
でもね、それをやっちゃあおしめえじゃあないですかね。
おっと脱線した。僕と金子はテクテクとひたすら歩いた。足に痛みはあるものの、
徒歩の旅というのはすばらしいよ。目に映るものがゆったりと問いかけてくれる。
自分の足で歩くスピードが、自分のペースとして自然。当たり前のことだけど
普段そんなこと考えないでしょ。だから見るものへの理解度が高く働くのだろう。
そして旅力を発揮する。昨日まで綴ってきたように、ある程度はついていると
思いながらも、まだまだ向上させたいものである。金子と歩いていると、同じ路
なのに受け取るものに差異があり、そのまま旅力向上に繋がっていく。
ヤツの知識力は僕なんかの比でないほど高いうえ、旅力も高いから脱帽しつつ
大いに楽しみ学んだということだね。
もうひとつ発見があった。徒歩の旅は気持ちがおおらかになる。小さな視点から
でなく、物事を大きく見るようになるのも、歩くという自然なペースで何時間も
過ごしていることで人間としての自然体に戻るのだと思う。ストレスがない状態
だから、思考をいい方へと導き続けるのだろう。仕事のアイデアもポンポン出て
くるし、希望がドンドン湧いてくる感じ。ぜひっ、徒歩の旅をオススメします。
仕事の悩みもきっと解決することでしょう。
今回は1日目に芦ノ湖から原まで。2日目に、由比まで。3日目は夕方から予定が
入っていたので、静岡県の清水でゴールとして帰ってきた。次回はここを起点として
また歩き出すのである。予定はここに書くので、ご近所の方はぜひ応援に来てください(笑)。
徒歩の旅、本当にお疲れ様でした。
細切れながらご一緒させて頂いた時間は、大変に有意義なものでした。
道々お話した通り、イメージとは裏腹にとにかく田舎者は歩かないのです。歩くという行為を、はなから放棄しているのです。
僕自身敬愛して止まない大先輩との再会があまりに楽しみであったが故に歩き始めた次第でありまして、それが無ければ東海道を歩いてみようなどと思う事すら、無かった事でしょう。
歩いてこそ分かる事が、歩かなくては分からない事が、これほど身近にあろうとは。
同時に徒歩の旅の困難や辛さ、そしてもっと速く快適に移動したい、という先人達の切なる欲求の片鱗を味わった上で、クルマとは何と偉大な発明なんだろう・・・などと思いつつ、この経験で得た宝物を如何に今後の自分の人生に生かしていくべきなのか思案に暮れる日々でございます。
「考える」事の善し悪しすらまだ分からない小僧ですので、僕は。
北村さんの仰るとおり徒歩の旅は、気持ちをおおからにさせるものですね。
おおらかさは、男らしさと同列なものであると僕は認識しております。
・・・まぁ僕はまだ所詮惑いっぱなしの昭和47年男です。ヒヨッコです。
単純に皆さんとご一緒出来た事を、出会いを、心から幸せに、嬉しく思っています。
有難うございました。
徒歩の旅の応援に駆けつけてくださり、ありがとうございました。うれしかったなあ。こうした気持ちの連鎖が、現代の閉塞感をブレイクスルーする根幹だと思うのですよ。出会いによって呑みましょうとなって、ほら、少しだけマーケットも作れちゃった。きっとまたいつか呑むでしょうから、ほら拡大していく。おおらかさとは男らしさとはいい言葉ですね。“粋”もそうですね、そのまま男らしさといえます。両方とも失いたくない男道だから大切にしていきましょう。