最近すっかり減ってしまった街の本屋さんだが、ここは赤坂の一等地でどっこい踏ん張っている。かつて我が社が赤坂で営業していた以前より、しっかりと根を張っていたそうだ。今も夜遅くまで開けていて、酔っぱらいの衝動買いを誘っている。僕の好きなラインナップを誇る書店で、赤坂オフィス時代に1人呑みへ出かける前には必ずここに立ち寄り、雑誌や書籍を何冊か購入してから呑み屋に入ったものだ。呑み始めにしか読まないくせに、いつも何冊も買い込んでいくバカモノだった。
僕は小学館の『小学○年生』を1年から6年までずっと買ってもらっていた。近所の小さな本屋さんが届けてくれるもので、学校から帰るとすでにあっ たから、発行日は楽しみにしながら家へと急いだものだ。自転車のリやキャリアに取り付けたケースに様々な本を入れ、たくさんの家々に配達してことだろう。 『小学○年生』の発行日は子供たちのためにさぞ忙しかったはずだ。この書店は、僕が家を出る20歳になる前に畳んでしまい、なんとも寂しい想いだった。
小売り現場の激変は日本中で起こっている。僕の実家だって電器屋を営んでいたが、後期は大物がまったく売れなくて、電池や電球といったものを近所の方がつきあいで買ってくれるという営業だった。大型化がドンドン進み、それもすでに斜陽になっている。CDショップなんかも活気がない店が多くて、かつてワクワクした売り場とは大きく変わってしまった。
今後小売店はさらに激減していく。土地持ちだからなんとかやっているような店に跡取りは見当たらず、なにか別の商売をやろうと考えればコンビニくらいしかない。街から個性がドンドン消えている。さらに心配なのは、ご高齢の夫妻でやっている呑み屋だ。跡取りの姿が見当たらない店の方が圧倒的に多く、親父さんの限界で店を畳んでいく。こんなキツい仕事を子供にやらせたくないという声もよくうかがう。僕の親父が電器屋に未来がないと言ったのは僕が中2の時だった。そのままに、日本中から味のある店が消えていってしまい、街は日に日に無表情になっている。俺たちの時代に見た繁栄と衰退だ。寂しいことだがこの流れを食い止める特効薬は今のところない。
中学当時SONYのCHFを買いに本屋行ってました。
その店で中学1年コースの年間予約をし聞こえないラジオをもらったり
学研のアタック グリップ 旺文社のハイトップを買ったり・・・
週に2回は通うコンクリートの床が冷たい本屋でした。
このお盆に帰省してもその店は残ってました。町には4件の本屋がありましたが
一番古いその店が残ってました。