山本 昌さん沖縄取材記。〜76歳のダイビングインストラクター!! 〜

『昭和40年男』初の沖縄取材だったもので、レポートもついつい詳細なものになったが
そろそろ終わりにしろっ!!って感じですよね(笑)。つうことで感動と涙の(ウソ)最終回でごじゃる。

挨拶を交わしインタビューが始まった。勝負の世界で走り続けてきた方とは思えないほど、
すごく温厚な方だ。小学生のころからの野球の話から始まり、去年の5勝にいたるまで、
昭和40年らしい内容にしようと踏ん張るものの、やはりスポーツ誌っぽくはなってしまうなあ。
前回の本木サンのときも、やっぱり話の焦点としては役者魂であった。結局仕事人間の
俺たち昭和40年男にとって興味をそそられるのは、職人魂とか熱血仕事人生感とかだよなと
インタビューしながら納得しちまった俺なのさ。話の内容としては、06年の阪神戦でのノーヒット
ノーラン達成のときの話がよかった。まったく意識難しなかったとのことで、そんなことよりも1勝
できたことが大きいと、いやー、ホントに微塵も記録なんか意識していなかったことがビシビシ
伝わってきたのはちょっと感動だったな。途中で試合用のユニフォームに着替えてくれるという
サービスぶりで、無事取材を終えた。
 「また取材受けてくださいね」
 「喜んで」
そう言って別れた。がんばっていい原稿にしたいものである。

ホテルのフロントに「タクシーを呼んであげてください」と気遣いながら取材現場を後にする
昌さんを見送って、今まさに電話をかけようというフロントの女性を静止して「ちょっ、ちょっと
待ってください。バスはないですか?」と、うわー、かっちょ悪い俺だ。でもね、経費は雑誌づくりの
生命線であるのだ、大切にね。

どんな取材になるかわからなかったから、飛行機は念のため最終便を取った。順調すぎるほど
うまくいき、空港に着いたらまだ3時間近くある。ここで黙っている俺じゃないぜ。コインロッカーに
荷物をぶち込んで、行くぜっ、国際通りじゃー。と、当然のごとく繰り出した。面構えのよさそうな
料理屋に入ると、まあ正解ですな。でもやっぱり国際通り界隈は観光客炸裂である。お客さんの
6〜7割は観光客で、ハッキリとわかる。僕は“仕事で来てます光線”を出してはいるが、まっ、
地元の方から見たら観光客と変わらないでしょうね。カウンターで昨日は我慢した泡盛、古酒を
もらい大満足だ。またまた、フーチャンプルをもらった。数ある沖縄のチャンプルだが、コブとふが
大好きです。双方とも、もともとから好物なのでそのまんまかもしれないが、その好物を
チャンプルで食えるのがなんせシアワセです。

1人で隣に座った爺さんが、焼き魚を笑顔で一気食いしていた。幸せそうだ。食べ終わったところで
 「あまりうまそうに食べてらっしゃるから、声をかけられませんでしたよ」
 「はっはっは、魚が大好物でねえ」
 「ご近所ですか」
健康的な黒い肌は訊くまでもないところだ。
 「はい、でも東京にいたんですよ」
ふむふむ、10年前にこっちに来たそうだ。ダイビング好きが高じて、家族を残して単身こちらに来た
そうで、76歳になるという現役のダイビングインストラクターだってさ。へーっ、世の中広いねぇ。
76歳にはとても見えない若々しさは、きっと海と泡盛の毎日だからだろうな。「ダイビングの魅力は?」
と訊くと、ニヤッと笑ってカウンターに敷き詰めた氷の上にのったさまざまな魚たちを指差した。
 「あーっ、だから食べるのも好きなんですね」
 「ハッハッハ」

残念ながら飛行機の時間が近づいてきてお別れとなった。
 「毎日のようにここにいるから、またいつか会いましょう」
 「ありがとうございます。ぜひまた」
昨日に引き続き、また土産ものが増えたよ。こうして『昭和40年男』最遠距離取材が幕を閉じたの
だった。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

2件のコメント

  1. 沖縄取材お疲れ様でした!
    コメントさせて頂きました翌日、ジュンク堂でバックナンバーすべて注文しましたが
    入手出来ませんでした・・・。
    残念・・・。
    また沖縄来られる際は是非一緒に飲みましょう☆
    お待ちしております!!

    • レスが遅れて申し訳ありませんでした。そうなんですよ、現在バックナンバーはすべて売り切れのようです。これからつき合っていただければ幸いと思います(笑)。いつか必ず沖縄取材を組みますので、そのときはぜひご協力&宴を楽しみましょう。

コメントは受け付けていません。