山本 昌さん沖縄取材記。〜三日月の夜〜

昨日からの連載だぞー。なんてたって『昭和40年男』史上、もっとも遠い地での
取材だったのだから、語らせてくださいよー。

なんとか取材地である、キャンプ地のそばまで来た。せっかくの沖縄の夜なのだから
楽しまなくちゃと、当然繰り出す俺なのさ。呑み屋を探しながら街を散策した。
北谷からは2㎞くらいかな、北へいったホテル周辺はアメリカンビレッジなんだね。
たまに飲食店があってもレストランとかバーばかり。僕が行きたいのは沖縄民謡が
流れていて、泡盛で沖縄料理を食べさせる店だ。基地に隣接する国道をひたすら
歩いた。知らない街を歩くのがそもそも大好きで、旅先となればなおさら。まったく
苦にはならず、30分ほどズンズンと行くとやっと一軒の居酒屋を見つけた。
とりあえず砂漠に水場をひとつ発見した僕であるが、もう少し上質のオアシスを求めて
さらに進んだ。できればね、婆さんが1人でやってるカウンターだけのこじんまりした
ようなところがいいんだよね。とびっきりうまい料理じゃなくてもいいから。だがあるのは
ピザショップやステーキレストランといったものばかりで、泡盛を置いた中華料理店が
せいぜいめぼしい店であった。もうすでにさっきの居酒屋から10分以上歩いている。
お腹がなりっぱなしなのと、アメリカン色がドンドン強まっていく街並に諦めさせられた
格好で、さっきの居酒屋を宴の舞台に決定して戻ることにした。

国際通りそばみたいに観光客だらけじゃない、地元の人が1日にケリをつけている
店だ。カウンターに座り、他の客と同じようにテレビを覗き込みながらオリオンビールの
ジョッキをぷはーっだ。うまいなあ。胸を張った沖縄料理というわけでないが、そこは
地元の居酒屋である。飾らず自然にラインナップされている。じゃあフーチャンプルと
泡盛と思ったが、明日の朝からの取材を考えるともう少し昌さんのことをさらっておき
たい。明朝は5時に起きてやれば十分だなとの作戦になり、ついつい呑みすぎてしまう
泡盛をグッとこらえ、沖縄では珍しいホッピーにした。すると隣の客が不思議そうに
見ているじゃないの。
 「なんですか、それ?」
 「ホッピーですよ。こっちの方はあまり呑まないですよね」
 「焼酎の麦汁割りみたいなものですよ」
 「へーっ、こっちの人間はみんな泡盛だからね」
と、しばし泡盛自慢である。瓶に入れ縁の下で寝かしてあるのが来年20年ものに
なるので呑むのが楽しみだという。娘さんが成人を迎えるからで、ちょっと一瞬あの
沖縄の成人式報道を思い出したが口には出さなかった。

いろんな話の後に基地の話になった。彼は基地がなかったら沖縄は成り立たないと
ハッキリとおっしゃった。人の意見が多様に割れているとも言う。 白と黒だけに絞った
テレビの報道じゃわからないと言うと彼は大きく頷いたのだった。そして続けた言葉は
それぞれの思惑ばかりで、どれもこれも正論などない。だったら食えなくなるという
選択はないというのが彼の持論だ。だが「この店でも大きな声じゃ言えないよ」と笑った。
うーん、ほんの少しだけ取材が成立したよ。

「では明日が早いので帰ります」(カッコ悪いなあ、でも取材のために来ているので)
店の看板娘に会計をお願いすると「また来てくださいね」と言われたが、さあはたして
この街にもう一度足を踏み入れることがあるのだろうか? うん、いつか大々的に行なう
と誓った沖縄取材の日にくればいいやと、気持ちの中にいい土産ものをもらって店を
後にした。タクシーと思ったがよくよく考えたらこんな街を流しているタクシーなどない。
南国のあたたかい風を楽しみながら、宿までの道をゆるゆると歩いた三日月の夜だ。

フッフッフ、続くのじゃ

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