最新号はどうやら健闘しているようでホッとしているところだ。今回の特集は昭和40年男にとって次々と生まれた“新しい何か”の中でも、革新と呼ぶにふさわしいものを集めた。どれこれも頷くものばかりで、家が電器屋を営んでいた僕にとってはとくにオーディオの機能は驚異的な進化を見せられ続けた。我が家の取り扱いメーカーの1つだったシャープが生み出したダブルカセットは、まさしくそれだった。
下町のちっぽけな店舗の棚に『ザ・サーチャー』が鎮座したときは、興奮すら覚えた。貧乏電器屋だったから、こんなものをおろしてもらえるわけがないのは十分に理解している上で、それでも取り扱っていることが誇らしかったものだ。カセットからカセットにダビングできるなんて夢のようであり、それとなんといってもデカイ。ソニーが扱いメーカーでなくて、『ウォークマン』にまるで冷や水を浴びせられ続けていた僕にとっては、してやったりの気分だった。
が、じつは電器屋で育った僕にとって、『ザ・サーチャー』を上回る革新を感じさせられたモノがある。電子レンジだ。技術的にはそれ以前からあったが、やっとこさ家庭に投入できるぞという価格にこなれたのが小学生の頃で、店主、つまり親父は勝負に出た。後の『ザ・サーチャー』よりふた回りほど高価だった電子レンジをおろし、お袋にレシピの研究をさせたのだ。それを近所の奥様達にプレゼンする。見たこともない夢の調理器具に目を白黒させた荒川区のマダム(!?)達の顔が忘れられない。ものすごく高価だったが少しずつ売れ始め、納品時に誇らしげに操作上の注意を促す親父はカッコよかった。
僕から見れば子供心に荒川区に革新を起こした瞬間だったが、当然ながらこの特集に加えるべきものでは無かった(笑)。電器屋だからこそ感じられた、革新にまつわる想い出でした。
5〜6歳の頃、いつも電化製品をお願いしていた近所のナショナルの電器屋さんが、「ちょっと試しに使ってみて」と勝手にエレックさん(調べたらNE-6010というタイプらしい)を置いていった事がありました。
新しもの好きのウチの親どもなら、使わせれば間違いなく買うだろうと見越しての事ですが(実際買ったw)、こういう図々しい営業方法が通じていたのが昭和40年代だったかも(笑)
スゴイ、置いていったのですか。当時は電器屋に限らず、ご用聞きが商売の基本でした。そう考えるとずいぶんと変わったものですね。
電子レンジなど母子家庭の我が家には異次元の世界だった当時、銀座三愛ビル内の三菱電機ショールムでは電子レンジの実演が行われており、レトルトカレーを瞬時に温めるデモが行われていました。ソニービルや銀座コアのテクニクスショールーム、日立ローディープラザなどを廻るショールームヲタ小僧は、タダでカレーライスが食べられると喜び勇んで列に並んだのですが、自分の番になったときに運悪くコンパニオンのオネーさんが脇に付いてくれず、アルミパックのレトルトカレーをそのまま電子レンジに投入。たちまち煙は出るは火は出るはの大騒ぎに・・・。それから40余年、電子レンジを敵と思い関わらない生活を続けています。コンビニ弁当も温めてもらいません。
しかしたまたまですが、同じ日の同じ三愛ビルの中に、二日前に放映が始まったばかりの「太陽にほえろ」の宣言イベントコーナーがあり、そこで記念に貰った、第五回台本と、ショーケンを含めたキャスト全員のスチール写真が今でも宝物になっております。
そいつはすごい経験ですね。今も電子レンジ無しライフとはそれはそれで素晴らしいですね。
ゆもさんの敵のおかげで、僕はおまんまを食えました(笑)。