3度目の倒産を経験した昭和40年男。

今年24年目となるウチの会社の歴史で、取引先の倒産は債券の小さなものを入れるといくつもある。小さなものはすぐに忘れちまうようにしているが、過去に2度大きな打撃を受けたものがあった。

ひとつは広告代理店で、ビックリ仰天した初めての倒産だった。ウチの雑誌に広告を載せてくれる大切なクライアントの1つがその代理店を指定していた。原稿のやり取りや進行の管理などをする手数料として、掲載料の20%をそこに渡すのだ。たとえば100万円の広告枠だったら、代理店に80万円の請求をして回収する。そこは6ヵ月の手形で支払ってくるから、月単位で回している雑誌の手形は金庫の中にドンドンたまる。ある日、これらが紙クズになってしまったのだ。一夜にして紙くずとは聞いたことはあったが、まさか体験するとは思ってはいなかった。対策しようがあるわけでなく、そのクライアントは今も別の指定代理店を持っている。前と違って手形でなく翌々月末に銀行振込だから、もしまたぶっ飛んだとしても、前回ほどの打撃にはならない。

2つ目はかなりのダメージを受けた。というのも、そことは双方に売り上げと仕入れを立て合っていたのだ。つまりお互いに売り掛けを計上しながら、そのお金が行ったり来たりしていたのだ。そこがある日突然飛んだ。社長とは連絡が取れないし、払ってもらえないのに払えるかと無視していたらなんと訴えられた。ここで初めて会社再生法という魔法を知ったのだ。倒産した会社の払う権利は消失するが、もらう権利は生き続け、いったん整理して再生させる。そうして集めた金を債権者に分配するのだが、当然倒産するくらいだからスズメの涙程度にしかならない。ほぼ同額の取引はウチだけが払う義務が残ったことになり、慌てて弁護士を立てて抗戦した。が、この魔法、会社再生法は強くて若干の減額で和解した方がいいだろうとなり、何回かに分割にして払い切ったのだった。教訓としては、恐るべし会社再生法である。

そして今回は、雑誌屋にとって強い存在の問屋が飛んだ。もちろん会社再生法適用である。現段階でどのくらいの損失が出るかはわからないが、ここには納入が少なく、上記の2件ほどの金額規模でないのはホッとしているところだ。だが、一所懸命に作って納入した本がビジネス上では消失してしまうかもしれないのだから、怒りを覚えないはずはない。問屋というのは返品ができる流通会社なのだから、原則としてビジネス上のリスクはなく、出版不況だからと仕方ないという気持ちには到底なれない。納入が少なかったことで、なんとか慰めている今日である。

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4件のコメント

  1. 私も、昔からの知り合いが担当窓口の会社が飛んだことがあります。
    自分の会社には、自信を持って推してただけに、
    すごくやりきれない嫌な思いでした。

    • 小西さん、ありがとうございます。やりきれない。まさしく同感で、今そんな気分です。

  2. 大変でしたね。僕は19年ほど前に共同出資でつくった会社におりましたが
    社長が「融通」をやってしまってて相手側がコケたために完全に倒産してしまいました。
    まぁ経営が苦しかったとは言え、僕には何の相談もなく納得できなかったですよ。
    いろんな取引先に迷惑をかけてしまい本当に申し訳なかったですね。
    いま僕は当時外注先だった会社に勤めています。代物弁済みたいなものですよ^^

    今の会社に入ってから2度取引先の倒産にあいましたが、まぁ大変でしたね。
    商売をやっていく上で必ずついてまわることとは言え、本当に嫌なものです。

    • ジョニー藤好さん、ありがとうございます。やはり経験なさっているんですね。それもずいぶんと壮絶な。本当に嫌なものですよ。

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