飲食店の移り変わりはどこの街も激しい。東京のダウンタウンの1つ、蒲田の飲屋街バーボンロードも同様で、昔ながらの店ががんばっている一方でたたんでしまう店は後を断たず、そこに大資本をバックにした店が入っては街の色が少しずつ薄くなっていく。仕方ないことだとわかっちゃいるが、無個性の店が増えていくのを嘆かわしく思ってしまうおっさんである。久しぶりに訪れた街で、かつて世話になった飲食店を訪ねると無くなっていることがしばしばある。懐かしの味に触れられないこともさることながら、そこで働いていた人情味あふれる方々と会えないのがつらい。再会できる可能性は極めて低く、ガックリとうな垂れてそこを後にする。
どっこい、元気なままの店はうれしい。ここはバーボンロードを蒲田側から進んで右に少し入ったところで、昭和のままタイムスリップしてきたようなラーメン店だ。威勢のいいオヤジさんと気のよさそうなおかみさんが切り盛りしている。僕が必ず頼むのは醤油ラーメンで、スッキリあっさりの香り高いスープに極細麺がたまらない逸品である。熱々が出てきてまずスープを口に運べば「ああ、普通っていいな」と、変わらぬ昭和の味にあったかい気分になる。昼時はいつも満席で、埋めているのはほとんどが僕より年上だ。真っ昼間からビールを呑んでいる常連さんが多いのは、先日ご紹介した浅草の名店同様だ。
こうしたラーメン店がめっきり減った。かつて東京でラーメンといえば、ここのような鶏ガラのあっさり味に、化学調味料をパパッと効かせたラーメンと決まっていた。その舌の記憶がここの味を強く求めているのだろう。昨今では昭和味の店が減っているのだから、現代人はこうしたあっさりラーメンに触れる機会が僕らの幼少時と比べると激減している。さらに言えば、この店で若者や子供連れはほとんど見かけない。するってえと、将来のおっさんたちはギトギトのラーメンにノスタルジーを感じたりするのだろうか。ではその頃にはまたアッサリが主流に戻っているのか。はたまた、もっともっとギタギタになっているのか。まあ、きっと多様化だろうなあ、などとつまらぬことをアレコレ考えながら、昭和の一杯を完食したのだった。
「ああ、やっぱり昭和はうまい」ってね。
良い暮らしと言うよりは、考えてない暮らし、でした。
ボーナスは、数日で蒲田の街に消えてましたし(>_<)
それでも、当時は生きていけました
(遠い目)
いいですねえ。当時戻りするように頑張りましょう!!
87年に上京して以来、ほとんどの買い物は大鳥居と蒲田で済ませ、
時を同じくして、蒲田で呑んだくれてましたが、京急側でした!
当時は、週3〜4で、居酒屋で晩御飯、スナックでカラオケ、お姉さんとそのまま焼肉、な日々でした。
夜中に千鳥足ですれ違ってたかも、ですね。
JR蒲田側だと、いまのドンキのビルが、丸井だったのが懐かしいです。
上京するまでは、丸井は、コント赤信号のネタとしての知識しかありませんでしたから、
感動でした。
いい暮らしだったんですね。スナックはねてお姉さんと焼き肉とは王道じゃないですか。素晴らしいっ!!