紫外線に負けるな昭和40年男。

日焼けが体によくないといわれるようになって久しい。かつて、こんがりと焼けた肌は健康の象徴だった。アイドルたちだってみんな小麦色で、笑顔にのぞく白い歯が魅力的だった。僕ら昭和40年男にとってコパトーンは必需品で、こんがりタイプのものをぎったぎったに塗っては果敢に太陽に挑み、玉砕して痛む夜の肌にシーブリーズを塗りこんだ。コパトーンとシーブリーズの香りは、そのまま10代の甘酸っぱい日々を連れてくる。

最近は日焼け止めばかりがもてはやされ、サンオイルなんて単語は死語なんじゃないかというほど聞かなくなった。僕自身にとっても、コパトーンははるか昔の想い出の品となってしまった。海水浴やプールでさえもほとんど行かなくなってしまい青春の日々が懐かしい。最後に海で泳いだ日からもうかれこれ20年近くになるのだ、やれやれ。

どっこい夏の僕は真っ黒に日焼けする。これだけは毎年変わらないことで、日焼け止めなんてノーノーである。昭和40年男の夏の肌は黒くなくてはならないと決め込んで、今年もつい先日勝負を挑んできた。僕の担当業務の1つであるバイクイベント焼けだから、露出部分だけが日焼けすることになる。腕と顔だけはティーンズの僕と同じくらい黒くなり、それを眺めては誇らしい気分になるのは今も昔とまったく変わらない。

なんだかよくわからないかもしれないが、僕の腕だ、下は色白のフトモモ(笑)
なんだかよくわからないかもしれないが、先週土曜夜の僕の腕。下は色白のフトモモ(笑)

この日焼けは先週土曜日に行なわれたイベント『ラブ・ジ・アース ミーティング』でのこと。ピーカンの愛媛県弓削島のお陽様によるもので、江戸っ子にとっては貴重なものだ。だがご覧のとおりの玉砕となり、シーブリーズなんか持っているわけがなく、夜は焼酎を呑みながらそれ用の氷で冷やし続けたのだった。そしてベッドに入った後はおそらく熱が出ていた。小さい頃からそうだが、シーズンインとなって最初の“焼き日”は必ず熱を出す。彼女と行った海水浴の民宿で、夜中にずっとウーウー唸っていたなんて情けない想い出もあったりする。

突っ張ってはいるが、肌に悪いことはよーくわかっている。最近は若い男子スタッフも日焼け止めを擦り込む者が多く、勝負を挑んでいるバカモノは極々少数派である。オゾン層の問題なども聞こえてくるからビビリがないわけじゃないが、幼少の頃より胸に刻まれた夏の男は黒い肌がカッチョいいってのは、決して消すことができない。遠い先々は考えを改めているかもしれないが、50歳の誕生日を迎える今年の夏は過去最高に黒い顔と腕でいきたいなんて考えているのだから、まったくおめでたい夏男である。

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