夜の街をさまよう呑んべえ。

最終電車が行ってしまい、さっきまでと変わった街の表情を味わう時間は、呑んべえの僕にとってなんともいいものだ。かつては朝まで遊んでいる連中がもっとたくさんいたように思うが、昨今減少するばかりに思える。深夜営業にがんばっている呑み屋は、僕らが酒を覚え始めた頃に比べたら格段に増えたのに、馬鹿騒ぎしている輩は少ない。朝まで突っ走る若者は一体にどこへ消えちまったことやらと心配になるが、街をじっくりと感じるにはかつてより格段によい。

今の時期だと暑くもなく寒くもないのがいい。それと朝が早いからモタモタしていると夜が明けてしまうのもこれまたいい。少しの後悔と、夜中にまつわるいろんな想い出やその土地での若き日々とかって、まるで演歌を聴いている気分だ。ガードレールに腰掛けて、酔い覚ましの水でしばしの時間をそんな風に過ごす幸せは、若い頃に感じられることはもちろんなかった。いろんな経験を積み上げてきた、僕ら世代だからこその贅沢だ。

写真 1
こいつはつい先日『浅草秘密基地』を終えてラーメンをキメてしまい(泣)、腹ごなしに歩き出して出くわしたご存知浅草雷門である。柳が風に泳いで風情ある眺めを、独り占め状態でしばし楽しんだ。

写真 2こっちもつい先日のこと。赤坂で馬鹿騒ぎした後に1人になり、やはりラーメンをキメてしまい(再び泣)、こってり味噌を後悔しながらたたずんでいた場所だ。この街で今の仕事の基本を学び、独立後に勝負を賭けて小さな事務所を構えたのは1994年だった。笑うことより泣くことの方が多いのはあたり前のことだろうが、涙を乗り越えるたびにこの街でうまいビールを呑んだ。今もちょくちょく訪れては、うまい酒と料理を楽しませてもらっている。あの頃、苦しみを癒してくれた板長やマスターたちとは今も懇意にしてもらい、忘れることない感謝の気持ちで接している。

どちらの街にも強い思い入れがあり、そんな街をこれからいくつ増やせるかなんて考えるのだから歳をとったものよ。2007年に引っ越してきた今の事務所がある浜松町にも、やっと愛着が湧いてきた。尊敬する料理人と出会えるとそれはいつも加速するのだから、つくづく呑んべえ万歳な人生である。

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2件のコメント

  1. 眠らない街と呼ばれる賑やかなところと、また違った顔のある街の夜の顔も色々味わえますね。
    セガレたちの教育費に湯水のように消えてゆくマネーに、昔のような軍資金もあるはずもなく、寂しい夜を過ごすこの数年。
    もうしばらく厳しいな。

    • 教育費って大きいですよね。ウチは1人でしたが本当に莫大でした。が、まだいっこうに戻ってくる気配はありません(笑)。

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