またまた悲しい知らせが届いた。歌手のベン・E・キングさんが30日に亡くなった。この名前を知らないタメ年男がいても、『スタンド・バイ・ミー』を知らない方はいないだろう。日本で知られている洋楽トップ10なんてランキングを作ったら、かなりの上位につけるだろう。もしかしたら第1位になるかもしれない。
母国アメリカでも同様のようで、今回の訃報によって知ったのだが、米議会図書館が“20世紀に最も放送された曲の一つ”として、今年の3月にその録音を保存することを発表したそうだ。これは文化的、歴史的に重要な価値がある25の録音が選ばれたとのことで、でっかいアメリカでも大切な曲ということになる。
この曲に出合った明確な記憶はなく、いつの間にかよく知っていた曲だった。洋楽に興味を持ち、ジョン・レノンのバージョンで初めてキチンとこの曲にふれた時、なんか違うなと違和感を覚えた。それは幼少期よりよく聴いていたのがオリジナルバージョンだったからだろう。その後、ブルースやR&B、ソウルミュージックなどなどブラックミュージックに魂を奪われていき、当然ながらベン・E・キングさんの『スタンド・バイ・ミー』に行き着き、あらためてノックアウトされた。歌の奥にある“憂い”がたまらなかった。こんな歌い方ができるようになりたいとカバーして以来、人生でもっとも数多く歌ったカバー曲のひとつだろう。いまだ学ぶ部分が多く潜んでいる、奥深い歌唱である。
もう1曲、彼と強く繋がっている曲が『Save the Last Dance for Me』である。この曲も出会いはハッキリせず、だが音楽に興味を持った頃にはよく知る曲だった。キチンと対峙したのはショーケンのカバーで『ラストダンスは私に』だった。そのカバー元がベン・E・キング(ドリフターズ時代)さんではなく、越路吹雪さんとのことで聴いてみた。ちょいとそれるがこれにはぶったまげた。日本人でこんなスゲエシンガーがいたんだと震えたのだった。そして越路さんのネタ元が、自分のなかで『スタンド・バイ・ミー』と繋がったときは大いなる喜びに震えたものだ。ドリフターズバージョンも聴き込み、越路さんとのミックスでこれまたカバーして、2人の偉大さにへこみっぱなしながら30年以上歌い続けている。
僕の拙い音楽ライフではあるが、ベン・E・キングさんはすごく大きな影響を与えてくれた。歌ってのは、いろんな影響が幾層にもなって身に付き、心というフィルターを通じて届けるものだ。僕の体に彼はしっかりと染み付いている。そしてあんな“憂い”をまとうには、まだまだ彼の心に及んでいないことを痛感させられる。
日本を愛してくれた、美しい瞳の人だった。その歌と心をせめて少しでも受け継げるように努力を続けなければ、偉大なる先輩に申し訳ないと、訃報をしって気持ちをあらためるバカモノだ。
強く、そしてやさしく歌い続けた人生だったから、さぞお疲れのことでしょう。ゆっくりと休んでください。ありがとうございました。