30年前にいた場所にて。

写真 1先週の金曜日に『大阪ミナミ秘密基地』を終えて、次の仕事場へ移動しようと宿を出て大阪駅へと歩いていくと、懐かしい場所に通りかかった。20歳の誕生日を迎える年の春、ここでギターと荷物をかかえた僕が旅の疲れで座り込んでいた。僕にとって人生の大冒険の日から、ちょうど30年が過ぎていることに気が付いた。

若いときの苦労は買ってでもせよとはまさしくこれだ。自分の居場所を変えて、夢へのチャレンジの力を得ようとニューヨークに旅立つことにした。が、アメリカはあまりにも遠く、手頃な大阪にターゲットを変えて旅立ったのだ(笑)。東海道線の夜行列車に乗って、大垣で乗り換えて大阪駅に着いたのだった。

大阪弁は高い壁だった。着いて数日は、道ゆく人や電車の中で大きな声で交わされる言葉に、嫌悪感が蓄積していくようだった。だがすぐにタメ年の友ができ、ライブハウスなどを巡って積極的に仲間を増やしていくうちに、言葉の壁に僕の方から入っていかなければならぬと、恥ずかしい気持ちながら関西弁を真似ていくようになった。まるで朝の連ドラ『あまちゃん』や『まれ』の主人公のようじゃないか。ヘタクソな大阪弁を使うようになると数日前までの嫌悪感は嘘のように消え去り、街にとけ込めた気がしたのだった。でもちょくちょく「あきやんの言葉変やで」と言われ続けたのは、やはりネイティブの発音とは微妙な差があったのだろう。ライブのMCで「東京モン」と言われることもあったが、まったく気にせずむしろ褒め言葉と受け取れるほど強くなっていた。

四畳半一間のアパート暮らしが、その後の自分に与えた影響ったら計り知れず、今も大阪に来るとあの日々に感謝する。残念ながら当時の友達とはほとんどが音信不通になってしまった。みんなどうしていることやら。

当時描いた未来の自分とずいぶんと狂いは生じたが、変わらぬバカ笑いだけは得意なままだ。無謀なバカモノであることも変わっていないのは、グダグダ悩むよりも行動だと旅に出たことがベースになっている。あの日、チョッピリ後悔しながらここでしゃがみ込んでいた僕には、その後の人生にこれほどまでの大きな影響を与えるなんてまったく想像できていなかった。そんなことを考えながら、時空の旅を楽しんだ週末だった。

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