訃報が増える。そんな歳なんだ。

平成6年の今日は婆ちゃんの命日である。この年、僕は仕事で初めて雑誌の創刊に立ち会った。ボロボロになりながらすべての作業を終えて、まるでそれを待っていてくれたかのように悲しい知らせが入った。近しい人では1歳の時以来で、記憶の中ではこれが初めての葬儀出席だった。親父は桜に引っ掛けた句を詠み、親族の涙を誘ったのが強く心に残っている。そして1年後の春に、その親父が突然逝ってしまった。63歳だった。この2年連続の悲しみからしばらく遠ざかっていたのだが、ここのところ近しい人の悲しい知らせが増える一方なのは、それだけ僕も歳をとったということだろう。今年に入ってとくに増えて、つい先日4つ目の訃報が舞い込んで今夜は通夜に出かける。

舞い込むたびに、その方の人生を考えながら自分の死についても思いを巡らせる。思考のループが始まっていつも答えなんか出ない。たったひとつだけ確実に導き出せるのは、今日をめいっぱい生きようということであり、これはきっと誰もが行きつくことだろう。

今年の悲しみの中にはタメ年男もいた。膵臓がんだった。まだ小さな子供を残してさぞ無念だっただろう。仕事も大好きだった彼だから、まだまだやり残したことがあるはずだ。すべてをやり切った死もあるのかもしれないが、未熟な僕にはまったく想像がつかない。無念だろうと思うその分だけ、深い悲しみとなる。今夜も然りで、故人に想いを込めて過ごす。

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