東京下町の昭和と現在。

木々の向こうに見える立派な建物が荒川区役所だ
木々の向こうに見える立派な建物が荒川区役所だ

荒川区で生まれ育った。実家のそばに区役所があり、大きな公園が隣接していて幼少の頃はずいぶんと世話になった。息子が生まれ実家に遊びに行くと、やはりここへちょくちょく連れて行ったから、親子二代に渡って親しんだ公園だ。写真のとおり、昭和43年に開園だから、3歳の頃より僕はここで飛び跳ねていたのだろう。

昨日は浅草で遅くまで遊んでしまい、徒歩40分ほどの実家に転がり込んだ。せっかくだからと桜を見ようと立ち寄ったのだが、もうほとんど散っていた。残念だったが、変わらぬ風景にしばし安らぎの時間を楽しみ、職場へと向かった。

変わらない風景を楽しんだ後には、変わり果てた商店の数々を見させられた。僕よりも少し歳上で、家の商売を継いだ方々は近所に多く、だが残念なことにそのほとんどが今は閉まっている。きっと第2の人生を強いられたことだろう。僕も継ぐか継がぬかは、タイミングとしてギリギリだった。我が家は電器屋を営んでいて、周囲からいつも跡取りと呼ばれていた。僕自身もそうするのが長男の定めと思っていたから、将来は親父と同じくこの店でご近所を相手に商売するものだとばかり思っていたが、親父の反対により継がなかった。ちなみに親父と仲のよい電器屋で、息子のタメ年男が継いだ話をかつて聞いた。ここはずいぶん前に畳んでしまった。

どこの店にもきっとドラマがあったはずだ。僕も『北村テレビ商会』にはたくさんの想い出があり、身近で商売をしている両親を見ながら育ったことに今は感謝している。万引きに入られた時は一家で落ち込んだ。クーラーの取り付けに汗を流し、無事に終わった後の試運転の風が快かったこと。お得意さんに配るカレンダーを一家総出でくるんだ日々や、大晦日には年明け寸前まで営業したりとか、あげたらきりがないほどの原風景が心に残っている。

そんなことを考えながら、閉じられた店を眺めながらついつい感傷的になってしまった今朝だった。個人商店に活気があり、道々に人があふれ、笑顔で満ちていた昭和の下町にはもう戻ることは出来ない。区役所公園に子供の姿がめっきり減ってしまったのも併せて、現代のリアルのひとつである。

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2件のコメント

  1. 思ひでの公園ならぬ松林と瀬戸内海が俺のその場所です。
    野球も鬼ごっこも、はたまた棄てられて雨風にさらされてガビガビのエロ本とも出逢った場所。
    あの頃の友は今はどうしてるんだろ。
    半世紀生きた証に同窓会でもやるべきか。

    • 僕もこの公園は、野球に鬼ごっこ、そしてエロ本との出会いもまったく一緒(笑)。
      半世紀同窓会はやるべきですよ。記憶を引っ張り出しあいながら、きっと若返ることでしょう。

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