最新号はまだまだ発売直後。ページのご紹介『大編集後記』を続けさせていただく。昨日は午前中にアップしたつもりになっていたのが、下書き保存になっていた。失敗失敗。自分のなかでは馬場さんと猪木さんの話題は昨日の話(笑)。では気を取り直して今日の分をお届けしよう。
第2特集となる『夢、あふれていた俺たちの時代』は、多くの昭和40年男が小学1年生になった昭和47年を取り上げた。この中の検証記事で「全国誌なのになんじゃ〜」とお叱りを受けそうな、関東ローカル番組『ぎんざNOW!』を取り上げた。「ちぇっ、これだからよ」とすっ飛ばさないでほしい。新しいタイプの番組を生み出した熱をぜひ感じてもらいたい。TBSで数々のヒット番組を生み出した、当時の制作マン青柳 脩さんに話が聞けた。
なにが飛び出すのかわからない、バラエティと呼ぶにふさわしい番組だった。そしてNOWでヤング(!!)な番組だった。放送開始の小学1年の頃はまださっぱりついていけなかったが、成長とともに興味がシンクロしていくのを味わった番組だ。夕方の5時の番組とは思えないような、サブカルっぽさを肌で感じることができたのは、後の自分に大きな影響を残した。本文中でもふれている、秋元 康さんがハガキ整理などでこの番組に関わっていたとのことで、後の深夜番組『オールナイトフジ』を仕掛けるあたりはストーリーですな。あの雑多な感じとかサブカルっぽさは『ぎんざNOW!』からの流れを脈々と感じる。
当時はテレビでほとんど取り上げられることがなかった洋楽もバンバン紹介した。『ぎんざNOW!』によって洋楽に興味を持った同世代は多いだろう。キッスを初めて目撃したのがこの番組との話は、数人のタメ年から聞いたことがある。僕はその辺についてはNOWでヤングじゃなく、少々遅れていた。
個人的にこの番組に強く魅かれたのは、将来お笑いの世界で食っていくんだと夢描いていたからだ。素人でもお笑いの世界に入っていけるのだと提示してくれた『素人コメディアン道場』は、眼をギラギラさせて見ていた小学生時代だった。勝ち抜き形式のお笑いバトルで、5週勝ち抜くとチャンピオンになる。番組出場をかけてオーディションを受けて勝ち進んだ猛者たちの戦いに、僕は懸命に学んだのだった。青柳さんは『三宅裕司のいかすバンド天国』も仕掛けた人だから、5週勝ち抜きチャンピオン制度はここから受け継がれたのだろう。
やがて僕はオーディションを受けた。確か67組と記憶している参加者たちは、小学生の僕にとってはみんな大人だ。67組のお笑いの世界を夢見る者たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれた、熱気でムンムンした小さな部屋。地べたに座り、出番を待ちながら大人たちのお笑い芸を見続けていた。そして自分たちの出番となった時の緊張と解き放たれた興奮たら、今もハッキリと記憶している。大人たちのレベルの高さは理解しながらも、小学生を番組に出す意義はあるだろうなんて、わけのわからぬ自信で審査発表を待った。が、落ちた。天才お笑い小学生デビューとの、自らが描いたキャッチコピーは無惨にもお蔵入りになったのである(笑)。
そんな想い出に浸りながらこのページを何度も読んでは裏側にあった熱を感じた。インタビューに応じていただいた青柳さんに、今となってはいい経験をさせてもらったと感謝の気持ちでいっぱいだ。あの日落とされなかったら『昭和40年男』は生まれていなかったかもしれない。なんてったって天才お笑い小学生だったからね(笑)。さあ、まだ手に取っていない方は、ぜひっ、ご一読ください。
素人コメディアン道場は毎週月曜日の企画でしたね、その月曜日の歌レギュラーがこの番組の別企画「スターへのパスポート」の優勝者「青木美冴」。♪だぁめ~よ~許しぃあうならぁ~・・・・・・誰も覚えてないですよね(^-^;
さすがっ、僕にはさっぱりわかりません(笑)。
田舎者には何がなにやら(*_*)
番組名は聞いた事がありますが。
俺も田舎で欽ちゃんのオーディション受けて落ちました(^^;
「カックラキン」「紅白歌のベストテン」「噂のチャンネル」を扱う際はご連絡を。かみさんの叔父がプロデューサーだったんで。
俺ら夫婦の仲人もしてもらったんだが。
ローカルネタですみませぬ。
情報ありがとうございます。感謝!!
オラの家の方は当時、民放TV局が2つしかなかった。w TBS+フジ、日テレ+テレ朝、テレ東(12チャン)はいまだにバラウリ(切り売り)。現在4局。
当時は川崎敬三さんのアフタヌーンショーとか視ていたような?
申し訳ないです、ローカルネタで。
川崎敬三さん、懐かしいですなあ。