大編集後記その四。小学校入学の年の記憶。

まだ最新号を手に入れていない方は、休日を満喫するためにぜひ書店へと向かっていただきたい。お昼からダラダラとビールを楽しみながら読めば、充実の日曜日となること間違いなしだ。お気に入りの音楽が『ラジカセ』から流れてきたらなお素晴らしいな(笑)。では今日も『大編集後記』を送らせていただく。

第2特集扱いの『夢、あふれていた俺たちの時代』は昭和47年を取り上げた。最近の読者さんはご存じないかもしれないが、この企画、実は2まわり目なのだ。これまで5年以上に渡る発行の歴史で、昭和47年を取り上げるのは2回目ということになる。このコーナーでは前半が新聞から始まり、その年の出来事をフラッシュ的に紹介して、後半では僕は「深堀り」と呼んでいる、1つの項目を数ページで詳しく紹介するコーナーに分かれる。この後半は過去の2回とかぶらないように考慮して編集の現場では奮闘している。今回も7つの「深堀り」が完成したぞ。

その中でもとくにショッキングだったものを、特集の導入部となるトビラに持ってくる。今回も文句無しの選択ができたと胸を張っている僕だ。この年に衝撃の復活劇を演じた山本リンダさんである。

S103当時小1のクソガキだからセクシーは理解できなかった。歌詞もチンプンカンプンだったが、本能でそのすごさを受け止めたのではないだろうか。激しいダンスと強い眼力に、僕は怖いと怯えながらも曲を口ずさんでいた。

本文ではこの特集のアンカーを飾り、4ページに渡って検証している。インタビューに応じていただいたのは天才、都倉俊一さんだ。俺たちにとって彼の曲は心のど真ん中にあるだろう。阿久 悠さんとのコンビでヒットと、独創的なキャラクターを次々に生み出した。それらの影響は俺たちの血肉になっている。今回は山本リンダさんを復活させた現場の話がたっぷりと掲載されていて必見である。

さあ、今すぐ書店へと走ってくれっ!!

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2件のコメント

  1. 昭和50年になった時に十円玉とかを見て、ガキが何故か感動に浸っていたことを覚えている。
    昭和40年代っていろんな意味で妙なエネルギーとTVもそうですが、モノクロームな印象からカラーへ変わるといった、そんな時代だっった。
    俺の小学校入学時は1年生は木造校舎でした。
    モノクロームというよりセピアという印象。
    三年生になると鉄筋コンクリート校舎に移れるのでワクワクしたものです。

    • 木造校舎の想い出は羨ましいですね。
      僕にとって1年生の一番の想い出は給食かなあ。先割れスプーンの衝撃です。

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