前述のとおり、根性論が最後の砦だ。
足らない才能や能力を補うのは、
熱だ情熱だとさまざまな形容はできるが、
集約されるのはどれだけの時間を注ぎこめるかである。
ところが、近代ジャパンは一部でこれを否定している。
バブル期に創出されたエリートさぼり文化が蔓延して、
いまだにそれをスタンダードにしたい連中が多いからね。
サンプル数ばかりを重視して
マーケティングできちゃったフリして
商品やサービスが生まれていったことで、
心もへったくれもないものがあふれかえった。
本気で考える時間を作らないから、
そういったデータに頼って理論武装して、
失敗するとその理由を理論武装するために調査して、
オママゴトかって笑っちゃうのである。
しかもこの調査、外注に丸投げするという体たらくがほとんどなんだから、
子供にでもわかるモンキービジネスぶりである。
昭和ひとケタ生まれの、ものづくりに従事した方たちと
酒を飲むたびに謝る。
僕ら世代は、
汗水垂らして働かなくてスミマセン。
へりくつばかりでスミマセン。
効率とかばっかりいって、スミマセン。
あなた方がつくった日本を、過去のものしたくないですよ。
がんばりますから、どうかご指導ください。
ってね。
「365日、僕たちは家庭も顧みず、開発に打ち込みましたね」
昭和ひとケタ生まれの先輩の葬式で、
心にドスンと来た別れの言葉である。
「24時間は平等」
高橋尚子の名ゼリフである。
やるぞー!!
笑顔ですばらしい説教をもらえる、尊敬する先輩の著書だ。