お好み焼きで一杯とのコピーが入った店頭ポップに誘われて、うーむ悪くないなと久しぶりにお好み屋に入ってみた。思ったとおり、焼酎が進んだいい夜になった。店員さんに「作りましょうか」と聞かれてお願いすると、慣れた手つきで焼いてくれた。片面を焼き上げてひっくり返すとふたをかぶせてこの砂時計が登場して「砂が全部落ちたらどうぞ」とのこと。ずいぶんしっかり管理されているのですなあ。昔だったら考えられないような具やトッピングがあり、かつて大阪で衝撃を受けたマヨネーズもしっかりとテーブルに設置されている。昔の東京では信じられないほどの進化を遂げていたのだった。
東京荒川区育ちの僕にとって、お好み焼きとは薄く焼き上げたものにソースのみをかけて食べるものだった。そして大阪や広島の方に怒られそうだが、お好み焼きはもんじゃ焼きのサイドメニューである。かつての荒川区の子供たちは、そのほとんどが1つだけ鉄板が置いてある駄菓子屋でもんじゃデビューした。やがて専門店に昇格するのだ。駄菓子屋と逆で駄菓子やジュース類を置いているものの鉄板がメインで、その数は2~4つくらいのおばちゃん1人で切り盛りできる規模の店が多かった。もっと多く置いている所は夜になると大人も楽しむようなハイソな(嘘)場所だった。駄菓子屋という社交場で男を磨いてきた俺たちが、大人の階段を登りハードボイルドな気分を味わう場所が専門店だったのだ。もんじゃをうまく焼けるのはあたり前のことで、加えて通はお好み焼きもうまく焼けなければならなかった。
お好み焼きは“天”と読んでいた。「おばちゃん、ショウガ天と切りイカもんじゃと肉もんじゃください」とオーダーを告げると駄菓子コーナーに行き『ラメック』を仕入れる。ベビースターラーメンの味が薄くなったような駄菓子で、この味の薄さがもんじゃにはよい。さらにドリンク『チェリオ』を、それぞれが好みのテイストを選んで準備OK。各自鉄板に着く。
天ともんじゃが運ばれてくるとまず天を焼き、その日の料理長がきれいなブロックに切り、それぞれの鉄板のふちに分けてくれる。ここは火が点いておらず保温スペースなのだ。これを少しずついただきながら2種類のもんじゃをブレンドして豪快に焼く。もちろんラメックをたっぷり投入して「おばちゃん、カレー粉頂戴」とお願いすると、S&Bのカレー粉をケチケチながら振りかけてくれる。だいたい2個オーダーをもう1回繰り返して、この素晴らしい時間に幕を引くのだ。
今回久しぶりに入ったお好み焼き屋でそんなことを思い出しながらも、もんじゃ焼きはオーダーしなかった。お好み焼きには高い金を出せる。大阪や広島でそのクオリティに感動したからで、それに勝るものが出てくるとは期待していないものの、かつて100円足らずで食べた天とは雲泥の差なのは想像がつくからだ。メニューの写真を見ればなおさらである。だが、もんじゃに800円も900円も出す気には到底なれない。数10円で食べていたあの日の食い物にそんな金は出せない荒川区民なのだ。
お好み焼きをめぐっての大阪と広島の意地の張り合いによく出くわす。愛しているがゆえで、同じように僕のもんじゃ愛の深さを再確認した夜だった。