あこがれの北新地。

北新地先日の大阪出張時のこと。僕はついに北新地で呑んだ。どんなお店に入ったかはご想像いただくとして、この地で5人の男たちは完全燃焼したのだった。

「新地はな、東京で言えば銀座やな」と教えてもらったのは19歳のときで、大阪に住んでいた頃のこと。そしてそれ以前に、ラグタイムギターの日本の第一人者である有山じゅんじさんと、『悲しい色やね』のヒットで知られる上田正樹さんのコンビによる名曲『あこがれの北新地』で、その地名は知っていた。

ボーナスを全部はたいてホステスを2〜3人つけてめいっぱい遊ぶつもりが、あんたみたいな若いのが来る所じゃないと言われてしまうといった内容で、サビでは誰もがあこがれる北新地となる、大阪ブルースを代表する曲だ。収録されたアルバム『ぼちぼちいこか』は昭和50年リリースの傑作で、リアルタイムでは知らなかったが『悲しい色やね』のヒットで上田さんの声に惚れ込み、過去を探っていくとこの2人のコンビによるラグタイムブルースと、2人のギター&ヴォーカルが冴えまくるバンド、サウス・トゥ・サウスに行きついた。僕にとっては、憂歌団と並んで大阪への夢を抱かせたコンビであり、今も彼らのアルバムを取り出しては聴き、カラオケでもよく歌う。関西が日本ブルースのメッカとなったのは、この2人によるところは大きい。

先日、大阪の若者たちと呑む機会があった。20代3人と30歳が1人、そして50歳にリーチの僕という5人だ。ジェネレーションギャップを感じつつもめいっぱい押さえ込んで頑張った。居酒屋で盛り上がった後に酔った勢いで繰り出した。ああ、あこがれの北新地でついに僕は呑んだのだ。若者たちも大喜びで当然ながらおっさんのおごりで、ボーナス全額と歌われたほどでないにしろ出費は大きく、しばらくは質素に過ごさねばならないことになった。でも50歳を直前にしてあの街に繰り出したのは感慨深い。有山さんと上田さんが歌った街であり、またそのせいで大阪に興味を持ち今にも繋がっているのだから、この街は僕の人生を変えたのかもしれないなんて…。そんな大げさなと思うなかれ、このアルバムに収められたのは北新地だけでなく大阪の“らしさ”がたっぷリと詰め込まれていて、大阪に住まなければあんなブルースは歌えないと心から信じたのだから。

さて店は? 若者たちは喜んでいたけどおっさんにはよくわからなかったのは、予算がイマイチ少なかったからかな。北新地はあこがれの地のままにしておいて、いつか札束を持って上田さんが歌った世界の再現をした方がよかったかもしれない。

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2件のコメント

  1. 20代洋服屋のバイヤーやってた頃にメーカーさんの招待で1回だけ行った事があるが、あまり印象に残ってないな。
    浅草のフィリピンパブのほうが楽しかったな(^^)
    場末のスナックでいいんでないかい40年男(^^)v
    本番ジャスト1ヵ月前、何十年ぶりに家から貴方の家のほうに向かって多摩川を30分走って折り返し1時間走り続けられました。太股がパンパンです(^^;

    • 20代の頃ってことはバブル期ですよね。新地はきっと浮かれまくっていたでしょうね。
      この時点で1時間走り続けられたのなら、きっと仕上がることでしょう。素晴らしいっ!!

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