昨日のブログに浅草秘密基地の常連さんから「北村電器店もお願いします!」とのうれしいコメントをいただいたので、図々しくもいかせてもらう。ジャーン。
昭和のおっかさんに抱かれているお坊ちゃまが僕だ。カワイイですなあ(笑)。見た感じは1歳くらいだから昭和41年頃だろうか。当時としては珍しく、松下とシャープの2メーカーと契約していて、店名は北村電器ではなく『北村テレビ商会』だった。親父いわく○○無線や○○ラジオが少し前の名称で、親父がオープンさせた頃は○○テレビがトレンドだったそうだ。ホントかなあ。なんせ僕の父親だからいい加減な話かもしれないが…。
2メーカーの扱いながら、見てのとおりシャープに力が入っているのはマージン率が違うからだとよく聞いた。値引きが出来て、同じレベルのものを安く提供できると。当時はまだ家電製品は故障が多かったから、老舗にこだわるお客さんも多くいて、そうした方々にはほとんど値引きできない松下を売った。というわけで、老舗メーカーと新進のメーカーから1つずつを選んだのが親父の戦略だった。老舗の方はなんといっても日立と東芝、松下の3つが挙げられ、経営理念が好きで迷わず松下にした。新進の方はソニーとで迷ったそうだ。
おもしろいのは2メーカーの営業スタイルの違いだ。松下の担当さんは店で交渉する。一方シャープは店の奥の居間に上がり込んで、談笑しながら長時間に渡って営業するのだ。晩飯を一緒に食いながら酒を呑んでいったりもした。車営業が基本だったから今考えると恐ろしいことだが、時代はおおらかだったなあ。
小さいながら商売に苦労と工夫をする親父を傍らで見て育った影響は少なくない。全盛期には沖縄からの出稼ぎの方々を雇ったりもした。力強い男たちに遊んでもらったり、沖縄のことを教えてもらったりと、これまたいい影響を受けたことになる。
納品などをよく手伝った僕で、その先々で「いい跡取りがいる」と言われ続け、店を継ぐとばかり思っていた。長男とはそういう星のもとに産まれたとも思っていた。中2の時にそのことを初めてキチンと確認したところ、親父は電器屋はこれから量販店の時代だから継がなくていいと言った。僕の人生が開けた瞬間だった。
と、そんな想い出や経験の数々の中心にある『北村テレビ商会』だ。親父が逝った後に残念ながら店をたたみ、今もここにお袋が1人で住んでいる。親不孝者ながら、この小さな長屋にウチの家族が住めるわけがなく、今の団地に部屋を用意して同居を勧めているのだが突っ張り続けているお袋だ。まあ、元気なうちはいいかなと放っている。
さて、昨日から続いた昭和ノスタルジア写真集の締めに衝撃のカットを紹介しよう。このバカモノは当然ながら僕である。なぜに鍋? その謎の答えは本人さえわからない。
シャープのお店って、なかったなぁ~? ナショナル、日立、三菱、東芝、三洋くらいかな。
シャープ、NECとオーディオメーカーはデパートの家電売り場でした。田舎だから。w
2メーカー取扱店はなかった。80年代あたりから、『他メーカー品も取り寄せますよ。』なんて店が出始めた。最近の小売店は、ヤマダ電機から仕入れるとか。w 自分が大金持ちだったら、近所の電器店や自転車屋から買ってあげたい! しかし、プチ貧乏だ。w 今は廃業してしまった近所のラヂオ店、懐かしいなあ~。(涙
話は変わりますが、今もある近くの三菱電機の工場、世界一大きなウーハースピーカー(当時)があって、テレビでも放送されていました。ダイヤトーンの聖地だったらしいです。工場長はデボネアでご出勤。w
私のハイオクは『キリンの富士山麓』です。50度です。千円で買える安物です。w
そうなんです。僕の家の近所にもシャープの店はなかったし、2メーカー扱いもよく親父が自慢してましたよ。
キリンの富士山麓は呑んだことがないですねえ。買ってこようかな〜。
貴方もお母さん似のようですな。
前に言ったと思うが俺も遠洋漁業の船に乗るって言ったら駄目だと親父に反対された、給料安くても陸に居ろと。
自分がした苦労はさせたくなかったんだろね、俺達の親父世代は。
1歳にしてはでかくないか。
浅野さんの親父さんカッコいいですね。「陸に居ろ」とはなかなかのセリフですな。
1歳にしてはデカイ? 息子の記憶が遠くてねえ(笑)。
売り物とはいえテレビがたくさんあって贅沢!
上はアタックNo1で、下はドラマ??
鍋は、ゲンコ対策でしょうか?(笑)
贅沢でしょう。でも、見ていいのは修理テレビでの売り物じゃないんですよ。修理後にテストでしばらくつけっぱなしにしているんです。
なるほど、鍋はげんこつ対策かあ。今度お袋に聞いてみます。
うちの実家も商売をしていて、御多分に洩れずわたしも長男。
同じく中2の時におふくろを介して家業を継ぐ件を親父に聞いてもらったところ、自由にしろ!
親父自身が長男で祖父さんから有無を言わさず継がされたため、俺には強要しなかったとのこと。
でも密かに俺は家業を継ぐ気満々だったのだが。。。
お陰でいまは納得のいかない勤め人。
家業は弟が継ぎました。
それはそれで良しとする。-_-b
平成乃昭和さん、ありがとうございます。
中2の時って、学校で初めて進路のことを考えろと言われたタイミングですよね。だからあらためて親父に尋ねた記憶があります。すごい肩すかしでしたよ。